「ロバートキャンベルさんと楽しむ秋の園遊会」で印象に残った一コマ

10月17日(土)に衆楽園迎賓館で開催された「ロバートキャンベルさんと楽しむ秋の園遊会」でパネルディスカッション「曲水の宴を語る」が行われました。
この中で印象に残る一コマがありました。

このパネルディスカッションにはロバート・キャンベル先生の他、津山市郷土博物館の尾島治館長、医師の小野陽子先生がパネラーとして登場し、コーディネーターを津山市観光協会の竹内祐宜会長が務めました。
その一コマとは・・・
衆楽園には、はじめ重臣や近習の者しか入れませんでしたが、その後、見世物芸などをするときには領民にも見物が許されるようになりました。領民が衆楽園に入れるようになった時期について、パネラーの一人から”明治になってから”と受け取れる発言(本人の真意は不明)があり、私はドキッとしました。津山市発刊の『津山城百聞録』には、明和年間だと書かれていたからです。

恐らく、
①衆楽園と命名された時期が、「衆楽雅藻」のもととなる「曲水の宴」が行われた年と同じだった。
②「曲水の宴」のときには、領民がギャラリーとして見物していたらしい。
③「衆楽」の名は、民に楽しんで欲しいとの思いから付けられた。
の理由から、そのような発言が引き出されてしまったと思うのです。

このとき、とても感心したのは、発言内容の誤りを最もよく知っていたはずのパネラーが間違いを指摘せずにスルーした点です。
真実を示すだけが正しいのではなく、本題と直接絡むような重大事でなければ、議論を聴衆に楽しんでいただくのを優先し、そのまま流す方がベターである――そのように考えたのではないかと思うのです。

人それぞれ評価は違うと思いますが、私には紳士的な行為に感じられました。

もうひとコマ、印象に残った事項がありまP1030093したが、それは後ほど。


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