第五章 普請始まる 17 (8月14日の投稿から連載している小説です)

太陽が山の稜線から離れた。細かに波打つ鰯雲が、微かに赤味を残す空に広がっている。
嘉芽市は、宗之助に暇乞いし、普請現場に再び向かった。昨夜から眠らぬままだった。
鍛冶場の建て直しを早急にしなければならない。普請への影響を考慮すると、なによりも先んじて為すべき作業だった。
横には、武三郎がぴったりと貼り付いている。昨夜の狼藉者が、再び襲いかねないと、用心棒を買って出たのだった。
「鍛冶場が燃えたことで、人夫どもが、また水神の祟りを気にするのではないか、心配にございまする」
「懸念どおりと、なり申そう。致し方ござらぬ。が、斯様な時こそ、指揮する者の心の力量が、問われるのでござる」
武三郎の言葉は、厳しい中にも、嘉芽市の成長を見守ろうとする優しさが溢れていた。
普請現場に到着すると、人夫の顔色や動きに、早くも変化が生じていた。
人夫どもは、落ち着きを失い、おどおどと目を動かすばかりで、仕事にさっぱり身が入っていない。現場全体が活気を失い、寒々とした陰気な空気に沈んでいた。
鍛冶場から、ぽんと飛び出した火玉が天空に上り、二里を飛んで、嘉芽市の屋敷に落ちた――という噂が、人夫の間に広がっていた。
「ついに水神様が、本気で怒りんさった。次にゃあ、儂らに罰が下る番じゃ。やれ、きょうと(恐ろしい)」
噂の震源は弥十郎以外には考えられなかった。まことしやかに、作り話を吹聴しているに違いない。
憤慨する嘉芽市の前に、石工の一人が、血相変えて飛び込んで来た。
「小鍛冶どもの姿が一人しか見えませぬ。他は夜逃げしたのでは――と」
今度は小鍛冶か! 両膝から力が抜け、へなへなと腰を落としそうになる。石工が見ている手前、辛うじて踏み留まったが。
当面の鑿の在庫に不足はなかった。だが、いずれは尽きる。小鍛冶が一人では、どう勘定しても、保ち堪えられない。
嘉芽市は、悪い夢でも見ているような気がした。


第五章 普請始まる 16 (8月14日の投稿から連載している小説です)

嘉芽市が屋敷に辿り着いた時には、火事はすでに鎮火していた。
白壁の輝きを誇っていた母屋は、僅かばかりの柱を残すのみで、廃墟の如き有様に変わり果てている。
組頭や百姓どもが数多く駆り出され、火事跡の片付けに掛かっていた。
嘉芽市は、左右に行き交う者どもの中に、家族の姿を捜し求めた。
すると、父宗之助が、ぼんやりと母屋の残骸を見つめている。隣には、兄の背が見えた。
「えらいことになってしもうた」
嘉芽市に気付いた宗之助は、蒼白となった顔を向け、語尾を心細げに震わす。
「母上はどうなされたのでございますか? 八重とちゑは、何処に?」
「無事じゃ。ほれ、そこにおるで」
意外に近い場所で、身体を寄せ合っている母と妹の姿を確認し、ほっと胸を撫で下ろす。
宗之助は、火事発生時の様子を語り始めた。
自慢の絹羽織は煤だらけ。袖口も破れている。母屋から逃げ出す際の物々しさを語っていた。
「火元は風呂場じゃった。風呂場の火は、とっくに消えとったのになあ。何者かが火を放った――としか思えぬ」
「火を付けた者に心当たりは?」
「儂にゃあ、火付けされるほど、人から怨みを買(こ)うた覚えはない」
宗之助は、含みのある言い方をした。
頬を赤く腫らした妹の八重が躙り寄って来た。ぼろぼろに破れた縮緬の小袖が痛々しい。
「お兄様。屋敷の火事は、隧道の普請に関わりあり――と、耳にいたしました。御家老様の御命とは存じておりますが、屋敷まで焼かれるとは、あんまりでございます。どうか、普請から身を引いて下さいませ」
八重には、父のような遠慮会釈はなかった。母親やちゑは何も言わず、蒼い顔で震えているが、内心は、八重と同意見なのだろう。
家族に責められずとも、火事は〝強硬派〟の手によるものだ――と、嘉芽市には分かっていた。
藩命とは言え、家族を危険に晒してまで、普請を続ける行為が正しいのか?
しかし、もう後戻りできぬところまで来ていた。今更、普請を放り出すなど、できぬ相談だ。
ましてや、不逞の輩どもの思い通りには、絶対にしたくなかった。


第五章 普請始まる 15 (8月14日の投稿から連載している小説です)

嘉芽市は、懐から鎖距(くさりがね)を取り出し、三者との距離を測った。
基準とすべき種竿はないが、侍どもの身長を五尺(1.5m)とすれば、種竿代わりに利用できる。あとは、暗算した。
すると、真ん中の侍と西の侍との距離は十二間(22m)だが、東側の侍だけが十五間(27m)と、遅れていた。遅れの原因は、茅が伸びて邪魔なのか? ――ともかく、進みを妨げる事情があるはずだ。
一方、侍同士の横の間隔には差はなく、凡そ十間(18m)だった。逆走による突破は、不可能だと結論づけた。
そこで、追っ手の動きが鈍い東側を、突破口と見なした。
嘉芽市は、鎖距を懐にしまい込むと、侍どもの注文通り、山裾に向かって進んだ。
茅の密度が疎らに変化する境目に出たところで、立ち上がる。山裾に沿い、東の方角に一気に駆け出した。
走りきれば、東側の侍の手が届く前に、包囲網を脱せるはずだった。
「逃げ出したぞ! 追えっ!」
慌てふためく侍どもの声を背中で聞きながら、必死に地を蹴った。
走り続けるうちに、追手の声は聞こえなくなっていた。周囲の様子を窺いながら、そろりと道に戻る。
遠くから、嘉芽市を呼ぶ下男の声が聞こえた。やがて、武三郎と下男の姿が見えてきた。
「よくぞ御無事で」
下男は、嘉芽市の手を取らんばかりの喜びようだ。
「お前も怪我はないようじゃな」
「僕(やつがれ)が、普請現場に向かっておりますると、ええ案配に、武三郎様のお姿が」
武三郎が下男に替わって答える。
「嘉芽市殿の様子が気になり、後を追ったのでござるよ。さすれば、貴殿の下男が、不審者に追われて参った次第で」
「追手は、どうしたのでございまするか?」
「拙者が抜くと、逃げ去り申した」


エイシンフラッシュが優勝。外し方を外した天皇賞でした。

⑫エイシンフラッシュが勝って、④フェノーメノ2着の天皇賞。平茂寛には、どうやっても、的中できない組み合わせでした。

ただ、このレース。大きな悔いが残ったのです。どうせ外れるのならば、ずっと追いかけていた②シルポートを軸にしておけばよかった、と。
ゴール前200mまでだったけれど、1000m通過57秒2の時点で玉砕は確実だったけれど、実に堂々たる逃げでした。「もしや」と思わせる瞬間さえありました。
そして、秋の陽射しの中、17頭を引き連れ、先頭を駆ける姿がこの上なく美しかった。

そう。今回の競馬は、馬券が当たらなかったことより、外し方を間違えてしまったのです。
競馬道。何年経っても奥が深いですね。


トランスワープ。裏街道派の花開く時。第146回天皇賞。

天皇賞を当てた記憶は数少ない。はっきり憶えているのは、フジノパーシアとカーネルシンボリの馬券ぐらいだ。大学3年生の時だから、大昔の話になる。

ただ、このレースぐらい印象に残る競争はない。
ぶっちぎりのハイペースで前半行ったにも拘わらず、誰もが圧勝を確信していたサイレンススズカ。まさか、三コーナーの先から、天国に飛翔してしまうとは。
タニノチカラ圧勝劇のレースで、2着確保の直前、伏兵のミリオンパラに抜かれたオンワードガイ。父親オンワードゼアが当て馬(雌馬を性的に興奮させる役割の馬)として宛がわれた時に、誤って受胎させてしまった馬だった。
久々の出走で、多くのファンが不安を抱きつつも、圧倒的な一番人気に祭り上げてしまったトウカイテイオー。ダイタクヘリオスなど、名うての強力先行馬に負けじと走り、裏街道派レッツゴーターキンとムービースターの後塵を浴びた。

さて、今年の天皇賞には、レッツゴーターキンを彷彿させる馬がいる。⑭トランスワープだ。上がりタイムがべらぼうに速いし、距離適性はベスト。本来なら、②シルポートから行きたい。だが、前走、一人旅の走りができなかったのが気になる。距離も長い。

そこで、⑭トランスワープを軸に、②シルポート。何があっても外せない。⑤サダムパテック。意外と走りそう。⑦アーネストリー。捨てきれない。⑬ダークシャドウ。強くて安定。⑯カレンブラックヒル。
以上の5点に流す。

 

 


超短編小説「なないろがし」三回のうちの第二回目

「なないろがし」のすぐ下に、一件の家があった。
二十年ほど前であろうか。ある村人が、不思議な一致に気付いた。
「なないろがし」下の家に発生する出来事と、葉の最終色が見事に対応していたのだ。
例えば、鮮やかな赤に染まった年、四十を超えた長女が思わぬ良縁に恵まれた。
葉色が真っ白になった年の暮れ、おばあさんが枯れるようにして死んでいった。
どす黒い紫に染まった年の有様は忘れることもできない。長男の嫁が産後の肥立ち悪く死に、生まれた子供も助からなかった。
いつの間にか、「なないろがし」の色で、件の一家に発生する出来事を予測し合うことが、村人の密かな楽しみにもなっていた。
ある年、「なないろがし」は、これまでとは一風変わった様相を見せた。夏前から落葉を始めたのだ。秋色濃厚な彩りに周囲が包まれる時季には、冬枯れの姿を晒していた。
あの家に、これまでにない不幸が起こる。火事か流行病か……村人達は囁きあった。
秋が終わり、冬が来た。雨ばかりが降り続いていたが、稲刈り後の降雨だったので、収穫には全く影響なく済んだ。
さらに年が変わっても、不幸な事件など何も起こらなかった。
老いた父親と息子は静かに暮らしていた。


第五章 普請始まる 14 (8月14日の投稿から連載している小説です)

嘉芽市は、月光に照らされた道の前方に目を遣った。
五つの人影が立ちはだかっている。明らかな害意を感じた。
「気を付けぇよ」
下男にそっと告げ、身構える。
五人は、四間ほど離れた位置から、じりじりと距離を詰め始めた。
「名乗れっ! 何者じゃ? 何の用がある?」
嘉芽市の問いに、侍らしき者どもは、白刃を抜く行為で応えた。
風がぴたりと止まっていた。虫の声だけが響いている。
下男の肘を掴み、側に引っ張り寄せ、耳打ちした。
「今すぐ戻り、武三郎様にお報せするのじゃ」
ところが下男は動こうとしない。恐怖で身体が動かないのかもしれなかった。
狼藉者どもが、息遣いが聞こえるほど間近に迫って来ていた。
「早う、言うとおりにせぬかっ!」
嘉芽市は、絞った声で叱り上げた。下男は、飛び上がって反転し、来た道を駆け戻る。
すると、読み通り、五人の動きに乱れが出た。全員が下男の動きに反応して、追手になろうとしたのだ。
戸惑う僅かな隙を、嘉芽市は狙っていた。北側に広がる茅原に一目散に飛び込む。逃げ込む直前に、二人の侍が下男の後を追ったのを見た。
腰を曲げ、茅の間を掻き分けて、山裾の方向に突き進む。硬く鋭い葉先で、顔や手が何カ所も傷付き、ひりひりと染みた。
半町ほど進んだところで、茅の根元に低く蹲り、様子を窺う。
「草の中に逃げ込んだぞおうっ! 捜せいっ! 見付けたら、その場で斬れっ!」
指示の声が飛んだ。ごそごそと茅を捌く音が聞こえる。
三人の侍のうちの一人の草を踏み締める音が、徐々に近付いて来る。早くも、荒い吐息まで聞こえて来た。
微かな身動ぎすら許されない気がした。心ノ臓が、どくどくと激しい動悸を繰り返している。
すうっと、追手の足と呼吸が止まった。
見付かったか? 嘉芽市の背筋に痺れが走った。
不安は的中した。離れていた二人も、向きを変えて接近して来たからだ。
すなわち、三人が互いに合図を送り合い、嘉芽市を挟み込もうとしている。
目一杯に低い姿勢を採り、包囲網から遠ざかろうとする。手も使い、獣の如き動きで、茅の根元に沿って移動した。
だが、二十間ほど進んだところで、冷や水を浴びせられた気持ちになった。敵は、逃げる嘉芽市に、じわじわ迫るだけで、早い動きを見せていない。つまり、じっくり追い立て、茅原が疎らな山裾近くに誘導していたのである。
とは言え、動きを止めれば、距離を詰められる。
行き詰まった嘉芽市は、茅の間から目を凝らした。すると、月に照らされた三人の影が浮かんでいる。


第五章 普請始まる 14 (8月14日の投稿から連載している小説です)

陣屋から駆け付けて来た武三郎が、夜陰に野太い声を響かせた。
「小鍛冶どもは無事でござるか?」
「大丈夫です。されども、伊助なる小鍛冶が火付けをし、姿を眩ました様子にございます」
「さすれば、陣屋の役人どもに命じ、伊助を捜させよう」
清助の不在時に、現場で緊急事態が発生した場合には、武三郎に指揮権が委ねられていた。
若干の落ち着きを得た嘉芽市だったが、慌ただしく駆け寄る足音を耳にして、再び緊張を強いられる。
嘉芽市の屋敷の下男が顕れ、苦しげな息を交え、口早に声を発する。
「大変です。御屋敷が火事でございます。お戻り下されませ」
寸分すら予期していなかった事態に心が乱れた。だが、嘉芽市は、下男の申し出をきっぱり却下した。
「儂は、御代官様から普請を信託された身じゃ。安易に現場を離れるわけには行かぬ」
指揮者としての任の全うを最優先と考えたのだ。
だが、武三郎が窘めた。
「ぐずぐずしている場合ではない。ここは拙者に任せられよ」
「この危急時に、私事を理由に現場を去れば、人夫どもの信頼を失いまする」
「家族に何かがあれば、如何致す? ――心に深い傷を拵えれば、指揮までもが荒(すさ)むもの。今は何より家が大事と思われよ」
武三郎からの激しい一喝に、落雷を受けたかのような衝撃が、身体を走り抜ける。
黙したまま、武三郎に深く低頭すると、素早く踵を返した。下男とともに屋敷に向かい、走り出す。
足が重く感じた。着物の襟や袖、裾から剥き出た肌を、冷たい風が礫の如く叩く。
普請への拘りから解放された頭の中に、父母や兄の幸一、妹の八重、ちゑの顔が、次々と浮かんで来た。
「頼む。皆、無事でおってくれい!」
無理矢理、胸中に抑え込んでいた感情が、不安が、迸り出る。
前を走っていた下男が、急に歩調を緩め、止まった。
「前のほうに、誰か……」
下男の声には、緊迫した響きが籠もっていた。


第五章 普請始まる 13 (8月14日の投稿から連載している小説です)

現場に到着した嘉芽市は、茫然と立ち尽くした。
鍛冶場は崩れ落ち、地に伏した残骸から、ぶすぶすと燻る音が響いている。
「鍛冶場から火が出たように見えた。あっという間に火が回ってな。ただ見ておるしかなかったのじゃ」
鍛冶場を警護していた役人が、言い訳がましく説明を始めた。
やはり小鍛冶の中に、〝強硬派〟の手の者が潜んでいたようだ。
だが、いつまでも、しょげている間はない。今後に向けての対応に、頭を働かせねばならなかった。今すぐに為すべき二つの事項が、頭に浮かぶ。
一つには、火付けをした小鍛冶を発見し、捕えねばならなかった。
今一つは、小鍛冶どもの安否の確認だ。鍛冶場は立て直せば済む。が、小鍛冶を失えば、打撃は大きい。
小鍛冶どもは、難なく見付かった。飯場の入口の横で、車座に座っていた。ただし、三人の影しか見えない。
「一人足らぬではないか」
体格の良い年嵩の小鍛冶が、隣で、膝の間に顔を埋めている小男のほうを向いた。
「もう一度、さっきの話をしてみいや」
老小鍛冶は、どうやら親分格らしい。先に鍛冶場に入った時に、鑿の研磨をしていた男だ。
小男は、顔を膝の間から持ち上げ、おどおどとした物言いで語り始めた。
「伊助と二人一組で、鍛冶場に残っておりましたら、後ろ頭を急に度衝(どつ)かれたんですら。気が付くと中は煙でいっぱいに。たまらず外に逃げ出したんで」
伊助と聞き、刃物のように目付きの鋭かった男を思い浮かべた。


第五章 普請始まる 12 (8月14日の投稿から連載している小説です)

八月も終わりを迎えていた。
抜けるような青空が、数日間続いている。遠方に見える山々の緑が映え立ち、稜線を鮮やかに刻んでいた。
「これまでに、三十間を掘り進みましてございまする。隧道全体の間尺は五十六間にて、残るは二十六間。年末までには、じゅうぶんに貫通できるものと存じます」
嘉芽市の説明に、現場の監察に来た清助は、満足そうに頷く。
「人夫どもの様子は、どうだ?」
「警護の増員をお取り計らい頂いてからは、不審事が起こることもなく、よく落ち着き、皆、作事に精を出しておりまする」
「人手が足らずんば、陣屋から腕っ節の強い者を送り込もうか――とも思ったが、要らぬ心配のようであるな」
「い、いや、そこまでは……」
冗談めいた清助の口調と、恐縮する嘉芽市の様子を見て、取り巻く藩士から、朗らかな笑い声が起こった。
日当の上積み、警備強化、《交罅の計》――三つの手立てを実施して以来、ぷっつりと異変の発生は途絶え、人夫どもの志気も回復した。
甚だ順調な状況なのだが、喜んでばかりはいられない。
二月も何も起こらないと、どうしても気の緩みが出てくる。実際、陣屋の役人であれ、人夫であれ、異事が相次いだ頃に比べると、緊張感の低下は歴然としていた。
〝強硬派〟に隙を見せれば、「ここぞ」と、動き出すに違いない。どうにか工夫して、気持ちを引き締めねばならなかった。
一方では、掘削面が、岩層から土の層へと変化していた。固い地層のため、崩れる心配はなかったが、今後、地層が脆弱化すれば、武三郎言うところの「悪い山」になり、崩落事故の確率が高まる。怪我人でも出れば、またぞろ人夫どもの不安を惹起しかねなかった。
何処からか流れてきた雲が、天道を包み込む。景色が、一瞬のうちに淡い墨色で塗り潰された。冬の訪れを思わせる寒々とした気配が漂う。

嘉芽市は、暗くなってから屋敷に戻った。
夕刻から、強い風が吹き始め、木々の葉が揉まれ、擦れ合い、耳障りな音を繰り返している。
遅い夕食を摂っていると、下男が襖を開け、慌てふためいた顔を突き出した。
「鍛冶場から火が出た――との報せが参りましてございます!」
口元に寄せていた椀と箸を放り出した。直ぐに身支度をして、屋敷を飛び出す。
月明かりで仄かに照らされた道を、一大事を報せに来た人夫の背を追って走る。
腕を振りながら、唇を噛み締めた。憂慮が早くも現実になったのだ。
「やられた……。火付けじゃ」
〝強硬派〟は、石工や小鍛冶でなく、攻撃目標に鍛冶場を選んだ。
手痛い急所を衝かれた痛みが、胸を鋭く抉る。鑿の研磨・製造を行う鍛冶場は、普請の心臓部に相当した。