ロードカナロア快勝。ハズれて悔いなし。満足できるレースだったスプリンターズS

先週に続き、勝ち馬の強さが目立ったスプリンターズS。短距離戦にしては、レース全体としての迫力もありましたね。

また外れちゃいましたあー。でも、軸に選んだ馬が勝てば、馬券が外れても満足感が残りますねえ。ウンウン。

そうです。愛する子供が運動会の競争で一番になった気分と同じです。負け惜しみじゃないって!

これからも、さらにロードカナロアは成長してくれるでしょう。来春には海外に挑戦できるのでは。がんばれよ-! 次に馬券の対象にするかは、別の話だけれど。

もう、頭の中は来週に向いてまーす。

岡山は、台風の影響をあまり受けずに済んだようです。近畿、関東などの地域も、災害なく通り過ぎますように。


第46回スプリンターズS

JRAにグレード制がなく、重賞とクラシックのみの区分しかなかった時代の話をする。

四十年ぐらい前ではないかと思う。スプリンターズSの当日、我が一家は墓参りをしていた。墓は東京の雑司ヶ谷にあり、いつもお世話になっている花屋さんが此花亭(このはなてい・結構有名なところ)だ。

もう亡くなられたが、此花亭の御主人が競馬ファンだったので、一緒にテレビ観戦したのだった。我が先祖も、墓参りの日まで競馬をされたのでは、さぞや浮かばれなかったであろう、と、思う。

発走直前に、地震があり、かなり揺れたのを憶えている。「馬は平気なんですねえ」などとアナウンサーが語ってたっけ。スピードリッチという馬を軸にしていたが、ノボルトウコウ(オークス馬トウコウエルザの弟)が二着に頑張りきり、鼻差で三着に破れたため、馬券はハズした。ちなみに、ノボルトウコウの母サンピュローはグレイソブリン系の種牡馬グスタフとの交配で菊花賞馬プレストウコウを後に生産する。

なお、グスタフに長距離適性があるとは全く思えず、菊花賞ではプレストウコウを一番に消去した。ところが、スローペースだったとは言え、プレストウコウが3,000メートルに勝利したことで、競馬そのものに不審を抱き、半年ほど競馬から遠離ったこともあった。

余談が過ぎた。この日のレースでは、名前は忘れたが、短距離のスペシャリストが圧倒的強さで勝利した。サクラバクシンオーは言うに及ばず、スプリンターズSは距離適性が大事なレースだと思う。と、なれば、⑯ロードカナロアが最も適性が高いだろう。しばらく勝っていないのもいい。

というわけで、⑯を軸に①マジンプロスパー⑥エーシンヴァーゴウ⑦リトルブリッジ⑪バドトロワに流す。⑭カレンチャンとの絡みは、単に配当が低いから、という理由で買わない。


第四章 時を積もる 6 (8月14日の投稿から連載している小説です)

武三郎が裾野に上ってから、既に一刻(二時間)が経過している。
(まだ、戻られぬか……)
嘉芽市は、雪の斜面に残る大きな足形を見詰めながら、顎を指先でなぞった。
足跡は、裾野の頂に向け、ぽつぽつと続いており、途中から林の中に消えている。
(それにしても遅い。もしや、武三郎様までもが、神隠しに遭われたのでは?)
嘉芽市の心に、不安と怖れが、水に落とした墨滴の如く拡がった。
村人どもの間からも、「おっきなお侍さんも戻れまい」との声が、ぼそぼそと聞こえ始めている。
もし、このまま武三郎が帰還しなければ、水神の祟りは、決定的な事実となって、村人の脳髄に刻まれる。嘉芽市は、断固として、最悪の事態への展開を阻止しなければならなかった。
そこで、平静を装い、自らも捜索への参加を仄(ほの)めかす。
「どれ、儂も祠に上がって、武三郎様と一緒に捜すとしよう」
本音を言えば、嘉芽市も怖い。だが、怯むわけにはいかなかった。
細かな雪が、びっしりと落ち始めた。村人どもの頭と肩が、あっという間に白くなる。
はっきりと見えていた山形山の頂が、雪の幕に閉ざされ、視界から消えていた。
「ん?」嘉芽市は、物音に気付き、すっと耳を澄ます。
降雪のさわさわとした響きの中に、ざざっざざっと、何かが裾野を滑り落ちる音が、はっきりと聞こえてきた。
すると、木々の間から、武三郎の巨体がぽっかりと姿を見せた。村人の間から、「おおっ」との喚声が上がる。
武三郎は、右脚をぎゅっと伸ばし、踵で雪に乗っている。左膝は曲げて、斜面に沿わせ、平衡を取っていた。左肩に、人らしきものを担(かた)いでいる。
そのまま、ずるずると嘉芽市の近くに滑り降りた。大きな身体に似合わぬ身軽さだった。着地と同時に、どすんと、肩の荷を落とす。
「作おっつあん――作おっつあんじゃ!」
村人は、仰向けとなった白髪の男の周りに、わっと駆け集まった。だが、身体を揺さ振っても、目を閉じたままで返事はない。男は息絶えていた。
「水神の祟りではない。この男は、斬られておる。もう一人も同じだ。藪の中に押し込まれていた。物盗りにでも襲われたのであろう」
骸(なきがら)に縋(すが)っていた村人の一人が、怯えた声を発した。
「盗人は、祠の周りに、まだ潜んでおるのでございますか?」
「既に、どこか遠くへ逃げ失せたようだ」
言葉が終わるのを待っていたかのように、嗚咽と啜り泣きの声が、ひいひいと上がった。
嘉芽市は、武三郎の小袖の裾が、五寸ほど切れているのに気付いて、あっと声を出しそうになった。
恐る恐る武三郎の顔を覗き込むと、小さな目の中に、冷たい光が浮かんでいる。
(武三郎様は、何者かと切り結ばれておられた!)嘉芽市は直感した。
相手は野盗か? いや、それならば、「賊は斬った」と、村人を安心させるためにも、はっきり伝えられるはず。と、なれば、自ずと結論が導かれる――左京が言っていた手段を選ばぬ〝強硬派〟が、ついに動き出したのだ、と。
しかも、〝強硬派〟は、村人の恐怖心を煽るよう、効果的に刃を用いたのだった。
嘉芽市は、底深い悪知恵を感じ、総身をぶるっと震わせた。
いぜれにせよ、死者が出た事実は大きな痛手だった。遺骸の弔いを済ませ、村人の心が、ある程度の平静を取り戻すまでに数日を要するだろう。期間中の測地は棚上げとせざるを得ない。今後は、苦しい日程の遣り繰りとなる。
また、武三郎の話を、村人がどこまで信用したかは計算できなかった。表向きは沈静していても、普請で事故が頻発したり、犠牲者が出れば、祟りへの畏怖心が再燃しても何らおかしくない。
嘉芽市は、肩に積もった雪の重みをずしりと感じ、ばさばさと両手で振り払った。


第四章 時を積もる 5 (8月14日の投稿から連載している小説です)

二町程東に走ったところに、十人余りの村人が屯していた。皆、山形山の裾野を見上げている。中に、人夫として雇った男どもの顔も混じっていた。
不安げな面持ちで、裾野の頂上を指差し、こそこそ話を交わしている。

「いったい、どうしたのじゃ? 何故、測地の現場に誰も来ぬのか?」
人夫の一人をひっ掴まえ、問い質した。
「神隠しでございまする!」
人夫は、ひいぃっと悲鳴混じりの声で答える。
「なんじゃと? 詳しく申してみよ」
「昨日、測地から帰って来たばかりの作おっつぁんが、「水神様の周りを掃除する」と申し、山に上がったんでございます。ところが、それっきり、日が明けても帰って参りませんで……」
「何処ぞに迷い込んだだけではないのか? 神隠しとは、大袈裟な!」
「堀坂の者(もん)が迷うわけがございませぬ。それに、今朝早く、作おっつぁんの甥っ子が、水神様の祠に捜しに上がったのでございますが、これまた戻りませぬ。きっと、作おっつぁんと同じ目に……」
人夫は、紫色に変色した唇を、わなわなと震わせた。
「ならば、また他の者が、二人を捜しに上がればよいではないか」
「滅相もございません。祠に上がる者など、もう誰一人おりませぬ。神隠しになる人数が増えるだけでございまする。そもそもの原因を……」
話の途中で、人夫は、はっと顔色を変え、口を噤んだ。
「何故、黙る? 構わぬから、さっさと続きを申せ」
嘉芽市は、人夫を拳固で小突き、催促する。
「水神様が、此度の隧道の普請にお怒りになったからじゃ、と、申す者がおりまして……」
人夫は、下を向き、さも言いづらそうに続けた。
「普請を止めねば、もっと恐ろしい水神様の祟りがある――とも」
嘉芽市ですら、開かずの祠を取り巻く異様な空気を思い出すだけで、背中がぞくぞくと粟立つ。
それだけに、堀坂の村人が感じている不安の度合いが腑に落ちた。
だが、このまま放置していては、今後、堀坂の者どもを人夫として当てにできなくなる。それどころか、普請を邪魔する側に回る可能性もあった。
嘉芽市は、すくっと背を伸ばす。
「それでは、儂が、これから祠に上がろう。二人を捜し出し、連れ帰る」
「どうかお止め下さいまし! 嘉芽市様に、もしものことがありゃあ、僕(やつがれ)どもが、どんなにお叱りを受けるか……」
引き留める手を振り切って、祠に向かおうとした。祟りへの不安を払拭するためには、他に選択肢はなかった。
すると、「待たれい! 拙者が参ろう」と、頭上から、がらがら声が落ちてきた。武三郎だ。
武三郎は、周囲の者どもをぐるりと上から見回すと、大声で宣言した。
「皆の者、ようく聞けい。これから、拙者は祠に上がる。拙者が、神隠しに遭わずに戻って来たら、二度と、祟りの話は持ち出すでない」
目の前で、雄弁に村人を諭している男が、寡黙な武三郎と同一人物とは、とても思えなかった。村人どもは、武三郎の体躯と声の迫力に怯え、叱られた子供のように身を竦ませている。
「武三郎様の御手を煩わすわけには参りませぬ。祠には身共が……」
「心配は無用でござるよ。拙者にお任せあれ。伊達に、二本を差してはおらぬ」
武三郎は、嘉芽市の前で、ぽんと太刀の鐔を叩いて見せた。


田園の中のレストランを愉しむ(料理編)

先週紹介した田園の中のレストラン「風ノウタ」で食べた料理を紹介します。「季節の〇〇(また忘れた!)」というコース料理。

 

まずは、これが運ばれてきました。ノンアルコールのスダチ入シャンパン?

白子のすり身の上にイクラを載せている。何とも言えない味。

 

 

ここからは料理を選びます。前菜で里芋を使った料理を注文。

クレソンの下は、すりつぶした里芋を餅に練り込み(?)団子にして、芯にはモッツェアレラチーズを入れてました。もちもち感とチーズの味の絡み具合に思わず嫉妬を感じました。かりっとしたパンにも満足。

 

エディブルフラワーを浮かべたコールドのコーンクリームスープ。

おかわりをくれーっ!

オリジナルの皿も嬉しい感じがします。

 

 

メインディッシュは子羊のカツレツ(本当はもっと洒落た名前だったのですが、忘れました)を選びました。マスタードとの相性が抜群です。柔らかくて、羊肉の微香があって・・・。添えてある野菜もうまい!

 

 

デザートは、イチジクとアイスクリーム、レンズ豆など。レンズ豆と一緒に底に沈んでいるプリンのようなムースのようなクリームのような・・・よく分かんないのが途轍もなく美味でした。

 

 

 

コーヒーカップも「風ノウタ」オリジナル。

 

 

 

 

もう終わりかと思ってたら、コーヒーに生チョコレートと、湿り気のあるパウンドケーキ(?)が付きました。

大の男でも、もうじゅうぶん。大満足!

総予算は2,100円。最初にコースに必要な時間を確認するところも好感が持てました。

 

ゆったりとした1時間余りが知らぬ間に過ぎました。岡山の自慢が一つ増えた気がします。

 

 

 

 

 

 


第四章 時を積もる 4 (8月14日の投稿から連載している小説です)

嘉芽市は、杭打ちと高低差の測量を無事に終えた。測地初日にしては、上々の滑り出しだ。
屋敷に戻り、早速、野帳の記録を整理・点検する。もし、記録に矛盾があったり、考えられない値が含まれていれば、翌日しっかり再測をしなければならない。
幸い、記録には問題がなかった。嘉芽市は安堵し、高低差の計算に移る。
「南北坑口の高下差は、一丈一尺六寸(約3.5メートル)か……」
満足な心持ちで呟いた。測量に携わる者であれば、観測成果を得た時に、誰もが満ち足りた気持ちを味わう。程度の差こそあれ、今も昔も変わりはない。
心地良くさせた理由は他にもあった。嘉芽市の秘する構想に対し、得た高低差が「ええころの」(頃合いのよい)数値だったからである。
だが、いつまでも、ほくほくとしている余裕はなかった。明日は、各杭間の間尺を測る。手順を再確認するとともに、機材の準備をしなければならなかった。
既に夜四ツ(午後十時)となっていた。屋敷の外からは、物音一つたりとも聞こえて来ない。
嘉芽市の住む地域では、深夜の静けさが、明け方に掛けての降雪に結びつく場合が少なくない。積雪が深ければ、杭の位置を探す作業に、余分な時と手間を要する。
そこで何度も準備作業の手を休めては、外に出て、闇空を見上げた。
結局、眠らぬまま、測地の二日目を迎えた。だが、気力が充実し切っているため、疲れは微塵も感じていなかった。
天候には恵まれた。降雪はあったものの、二寸ほど積もっただけだった。
ところが、張り切って現地に到着すると、思わぬ事態が待っていた。
「誰も来ておらぬ! どうしたことじゃ?」
現場には、武三郎の顔しか見えない。堀坂で雇った人夫の姿がないのだ。真っ白に染まった田圃や裾野が、がらんとした人気のなさを、余計に感じさせる。半刻ほど待ってみたが、誰も来なかった。
風が強過ぎる日や降雨の時は、測地ができない。測地のできる時には、必ずやっておかねばならなかった。
人夫を待ちきれなくなった嘉芽市は、武三郎に早口で伝える。
「堀坂の村で、何かあったのかもしれませぬ。身共は様子を見て参りまする」
嘉芽市は、言うが早いか踵を返した。堀坂に向かい駆け出す。
すると、後ろから、どすどすと足音が追って来る。武三郎は「拙者も参ろう」とは言わなかったものの、嘉芽市に同行するつもりらしかった。


田園の中のレストランを愉しむ

岡山市南区中畦に拡がる田園の中に立つ洋風の建物・・・「風ノウタ」というレストランに行きました。

 

洋風建物。前回訪れた時は、結婚式の貸し切りで入れませんでした。今は、ブライダル路線に力を入れているもよう。

 

 

 

 

 

回りを水田で囲まれてます。

 

 

 

 

白で統一された落ち着いた内装。

給仕の係の方の笑顔や言葉、動きが洗練されていて、気持ちが和らぎます。

 

 

幼い子供を連れたお母さんは、この席に座ります。奥のスペースは子供が遊ぶ場所。

子供に手を取られてゆとりを失いがちなお母さんに、配慮したつくりです。

料理については、次回に紹介を。

 

 


第四章 時を積もる 3 (8月14日の投稿から連載している小説です)

(今回は現在と江戸時代の測量技術の解説になりました。興味のない方は写真や図を眺めて頂ければ、と思います)

 

現在の水準(高低差)測量は、水準儀(レベル)と標尺を使用する。二測点間の高低差を測るには、各測点にそれぞれ標尺を立て、中央に水準儀を整置して、前後の標尺の目盛りの差を見るのである。

( 写真は水準儀)

 

 

ここで江戸時代の測量器具として、量盤(けんばん)なるものを紹介する。量盤とは、四本の蜘蛛手の台で支えた一尺四寸の支柱の上に、縦一尺横一尺四寸の、平らな檜板を載せた構造をしていた。(量盤の図)

 

檜板の裏に、枘算(ほぞさん)と呼ばれる角材が打ち付けてある。枘算の溝に支柱の一端を嵌めて栓で止め、さらに枘算と支柱を斜めに繋ぐ棒で檜板を水平に固定する。

現在の平板測量で用いられる平板に、形状がよく似たものだ。平板測量では、平板上で、アリダード(二十五センチメートル程度の定規の両端に、覗き穴のある板を立てた測器)で目標を捉え、定規に沿って方向線を引く。

 

(平板の写真:左奥の定規がアリダード)

 

 

 

 

量盤でも、定規を載せ、真っ直ぐ目的を見込んで、盤上の紙に墨を入れる。すなわち、形状のみならず、使用方法も現在のと全く同じだった。

量盤には、もう一つの使用方法があった。水準儀として用いる方法である。
量盤は、支柱に固定されてはおらず、回転させ、地面に垂直にして使う方法もできた。つまり、垂直に固定した板の上辺で、水準儀同様に、前後に立てた竿を見通すのである。
竿には、尺度の目盛りと、上下に移動できる的(まと)が付けられている。量盤役の者が、量盤の上辺から一直線に見える位置に、的を動かすよう竿取に命じ、竿取が目盛りを読み上げる。なお、現在では、水準儀の望遠鏡で、観測者が直接、標尺の目盛りを読む。
ところで、水準測量を実施するために、水準儀と標尺を鉛直に立てねばならない点は、現在も当時も変わりがない。
そこで、量盤を水準儀として用いる場合には、前後二箇所に糸で鉛玉を釣るし、予め、量盤上の紙面に記した鉛直線と重なるよう調整した。一方、竿にも同様の仕組みが付けられていた。

 

 

量盤を使用した水準測量の図

 

 

(上記図面については、「江戸時代の測量図」松崎利雄著 総合科学出版から引用)


作家として目指すべき肉体とSの誇り

最初に申しあげておく。「Sの誇り」と、題の一部に記したが、SMとは関係ない。服のサイズのことである。期待して読まれた方、ゴメンナサイ。

平茂寛は子供の頃から小柄で、服はいつもSサイズだった。それが身体コンプレックスの象徴に思えて、嫌で嫌で堪らなかった。

高校2年生からMサイズになった。身長は伸びなかったが、肉が付いたからだった。いやはや、Mサイズを着られるようになったのが本当に嬉しかったなあ。就職、結婚を経て、さらに肉付きが豊かになった。もはや、Mサイズは自分にとって当たり前になり、時には、Lサイズでも違和感なく身に着けるようになっていた。

ところが、今から約5年前。小説家になろうと決意した時に、だぶついた己の肉体が俄に気になった。筋肉が衰え、脂肪組織が優先した身体では、今後の現地取材や執筆の連続に耐えられないのでは、と、不安を抱いたのだ。そして何より、作家センセなるものは、思考活動に日夜消耗している姿を、周囲に顕示しなければならない。すなわち、間違っても、福々しい布袋腹であってはならないと、考えたのである。

物事への挑戦とは、まず外見から入るべきだ、と、平茂寛は考えている。小説家になりたかったので、まず小説家らしい体型を身に付けようとしたのだった。

食事の節制とトレーニングで身体を絞り始めてから、1年半後、ユニクロの試着室で、ついに、Sサイズの似合う自分の体型を確認した。

この時、生まれて初めて、Sサイズを着られる自分に、喜びと誇りを感じたのだった。

 


第四章 時を積もる 2 (8月14日の投稿から連載している小説です)

三日後の朝、嘉芽市は、隧道の南坑口予定地にいた。鼈の顎に当たる場所だ。
さすがに、昨夜は興奮して寝付けなかった。夜が明けるのを待ちきれない気持ちで、測地の初日を迎えていた。
測地の目的は、もちろん、南北坑口の位置の確定――すなわち、両坑口を真っ直ぐに貫く隧道の方位と、高低差の把握だった。
踏み締める足下に雪がうっすらと積もっている。歩くたびに、きゅっきゅっと乾いた音を立てた。
嘉芽市は一人ではなかった。武三郎が横にいる。さらに、数名の人夫を従えていた。いずれも堀坂の住民で、測地作業を手伝わせるために雇った者どもだった。
「よし、ここじゃっ! ここに打てい!」
嘉芽市は、地面を指さし、一本目の杭打ちを命ずる。南側坑口の中心線を構成する重要な杭だった。
深々と打ち込まれた杭の上に、小刀で、十字に刻みを入れる。これから始まる作業に、胸が熱くなり、思わず武者震いが走る。
二本目の杭は、裾野の南壁に沿い、三十間ほど西に進んだ場所に打ち込んだ。
「ん?」珍しく、武三郎が、怪訝そうな声を出した。
「武三郎様、如何なされましたか?」
「貴殿の設計によれば、反対側の坑口は、ちょうど、この裾野を北に乗り越えた先に設けるはず。で、あれば、真っ直ぐ、北に向かって裾野を上るのが相当でござろう。何故、訳もない方向に杭を打たれるのか?」
「裾野が急傾斜で、方位を積もる測器を据える作業がし難うございます。当然、塵(誤差)も生じやすくなります。また、斜面には、木や藪が茂り、視野の邪魔となっておりまする。そこで、裾野を西に迂回して測地するのでございまする」
「ふうむ」嘉芽市の説明に納得しかねるように、武三郎は大きく首を捻った。
振距術(ふりがねじゅつ)では、金鉱や銀鉱内で、現在掘り進んでいる位置を知る、あるいは、これから掘り進む方向を見定めるのが主な作業になる。測地作業の難易を理由に、路線を迂回させる考え方に、今一つ馴染めないようだ。
空気は冷え切っている。冬は、嘉芽市が最も好む季節だった。気持ちが引き締まり、作業一つ一つに対する緊張感を維持しやすい。
また、美作国の冬は、分厚い鉛色の雲に覆われたままの一日となる。気温の日内変動や日射の影響が少なく、安定した環境の中で測地ができる条件となった。
嘉芽市は、杭打ちを進めながら、まず高低差の測地に着手する計画だった。測地の方法は、現在の方法となんら変わらない。