日本ダービーに行ってきました

ちょうど上京した翌日が日本ダービーだったので、昔よく通った東京競馬場に行ってみました。十年ぶりぐらいかなあ?

 

ダービーの記念入場券です。

 

 

 

ううん! もう、懐かしくてたまらなーい。スタンドはきれいでオシャレな姿になったけれど、雰囲気は昔のまま。

東京競馬場は、森の中にあるような佇まいを残しています。

 

 

応援した14番のトーセンホマレボシ。結果は3着だったけど、思い描いたとおりのレース運びで、直線も積極的に前に出て、戦いました。

ご苦労様!


久々に母校を訪問

今回上京した目的の一つは、大学同窓会の総会に出席することです。会場となった工学部(東京都小金井市)に行きました。

大学は、府中市にある農学部と、小金井の工学部に分かれており、私は農学部だったので、正直を言うと、工学部のキャンパスに入っても、さほど感傷はありませんでした。

でも、静かな佇まい、まったりとした空気は、農学部と同様でしたね。アカペラを練習するグループの歌声が、ほの温い風に乗って聞こえると、少しセンチな気持にもさせられました。

門は、いかにもハイテクの先端を走る工学部(産官学連携では日本一らしい)ならではです。もちろん三十年以上前にはありませんでした。奥に鬱蒼と見える森のような木々が、歴史と奥行きを感じさせます。

 

 

 

 

 

テニスコートです。

軟式テニスクラブの冴えない部員だったので、工学部のコートだけはよく利用しました。

当時は、ただっ広い原野にコートが並んでいるだけの風景だったのですが、今は、所狭しと研究棟が建ち並び、コート周辺も、きれいに整備されていました。


ボーイング787に搭乗しました

ANAで岡山東京間を飛ぶのは、ボーイング787。

確か、国内路線では、全国で一番早く、本機が就航したはずです。結構、この路線は、飛行機の利用が活発です。この日も、満席でした。

 

新しい飛行機の中は、気持がいいですねえ。席の前には、ディスプレイもあります。

乗客数が多いからでしょうか、キャビンアテンダントのお姉さんの顔に、ゆとりがなかったように感じました。


岡山空港の有料ラウンジで、セレブ気分を味わう

土曜日に、岡山空港から東京行きの飛行機に乗りました。

空港に到着してから、少し時間があったので、空港ビル3階にある有料のラウンジに行ってみました。

 

入り口のドア付近です。「ラウンジ・マスカット」とありました、いかにも岡山県らしい名称です。

 

 

中は、広々とまでは言えないけれど、談笑組・一人静かに・デスクワーク、それぞれの目的に対応できるよう、うまく配置がされていました。さらにお金を払うと、四方を仕切ったスペース(右側に壁が白く見えるところ)も利用できます。

手前は、談笑スペースと思われるところ。有料なので、人が少なく、ゆったりできます。

 

ぼんやりと浮かぶ機影を背景にした、パソコン付きデスク。

なお、コーヒーなど、飲み物は無料で自由です。おしぼりも使えるし、落ち着けます。

 


日本ダービーはトーセンホマレボシで

今回は、⑭トーセンホマレボシを軸にします。前走レコードは馬場の為せる業。それよりも、勝ちっぷりの良さに惚れ込みました。父を彷彿させるエンジンが掛かってからの足! しかも、前で競馬ができる強みがあります。

相手は、③ゼロス⑦コスモオオゾラ⑩ディープブリランテ⑫トリップ。いつもの馬連で勝負。

③セロスは、いつもなら軸にするけれど、ダービーはどうしても当てたいもんで・・・。⑦はダービー前のライスシャワー(古いっ!)に戦績が似ています。⑫は皐月賞1回では見捨てられないので。⑩は説明の必要はないでしょう。

 


子守神社の伝説にONEーPIECEを思う

通勤路の中途(岡山市)に子守神社があります。

何の変哲もない小さな神社なんですが、その由来が鳥居の右手前にありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御霊石の意思で、重量が変化する。現実には、考えられない話です。それだけに、当時の人々は、由来話を畏れ敬ったのでしょう。

小説でも、あり得ない物事を設定することが、面白い物語を作り出す一つの手法だと思います。

一例を挙げてみます。小説ではないけれど、ワンピースに登場したミス・バレンタイン(バロックワークスのオフィサーエージェント)。体重を1kgから1万kgまで自由に変化させることができるという設定で、ルフィと戦いましたね。それほどの強敵ではなかった印象ですが、自信満々の微笑が彼女の超能力の凄みを引き出してました。

我に返って、神社を見ると、出勤前のサラリーマンの方が、一人静かに礼拝をしていました。我が子が健全に育つよう、お祈りをしていたのでしょうか。後ろ姿が、ちょっぴり眩しく見えました。

 


正岡子規が見い出した流浪の歌人・平賀元義遺墨展から2

遺墨展の様子です。旅館の2部屋を開放して、会場にしていました。

 

中央にいるのが、旅館お多福の主・竹内さん。津山郷土博物館の尾島館長さんや、学芸員さんも、ちょうど来られていました。

 

 

 

これも展示の一品。雨の下の字は「はれ」と読むのだそうです。

ただし「晴れ」を意味するのではなく、「雨が上がった」という意味に使う「はれ」とのこと(尾島館長さんのお話)。

いやあ。お陰で、また一つ、利口になりました。

 

 

 

 

右の記述は、五・七・五句による鎧を着る方法(の数え歌?)。

先だって本サイトで紹介した「正木兵馬の軍学教科書」に関連して、竹内さんから、平賀元義の作として紹介いただいたものです。

 

 


正岡子規が見い出した流浪の歌人・平賀元義遺墨展から

津山市の旅館お多福で、「作州維新文庫第3回所蔵展 幕末の万葉調家人平賀元義遺墨展」が開催されました。ご存じ、旅館主の竹内さんが、コレクションの一部を公開されたものです。

平賀元義は、岡山藩士の家に生まれた歌人です。退藩して、播磨や四国、山陰を遍歴し、多くの門人に慕われつつも、不遇のままに、漂白の旅の中途で生涯を終えました。

しかし、没後、正岡子規により万葉調歌人として世に紹介され、一躍名を知られるようになりました。また、歌だけでなく、特徴ある遺墨も多くの人に珍重されています。

展示の中の一つ。「高島の神島山を見に来れば、磯間の浦に鶴(たづ)多(さわ)に啼く」

ちょこっと、私なりの検討をしてみたいと思います。

この高倉の神島山とは、岡山市の龍の口山示しています。龍の口山の周辺は、幕末には陸地だったはずです。つまり、「磯間の浦」とはおかしい。

また、「鶴(たづ)多(さわ)」にも、違和感を感じました。岡山県には、「高島」がこの句の場所とは別に、二カ所存在します。今年の冬に、そのうちの一カ所を訪ねました。児島湾に浮かぶ無人島です。海上を覆うかのように飛ぶ川鵜(かわう)の群れと、灰が降り積もったように糞で白くなっている寝場所の様子が強く印象に残っています。

そこで、海なら、鶴ではなく鵜ではないか、と考えました(間違っているかも知れません)。

つまり、元義は、現実の光景を見て、歌を詠んだのではない。万葉の時代・・・海が深く内陸に入り込み、龍の口山が海上の島として存在していた時の光景に思いを馳せて、創作した句だと思います。

下の写真は、高島にある神社の狛犬。天保年間に造られたものです。これまでの、お話とは関係ないけれど。

 


輝く花弁

庭に咲いた花の群落に目を奪われました。勢い立つ葉面が光を照り返し、葉の間から持ち上がった花は、猩々緋(しょうじょうひ)に輝いて見えます。

名前も知らない小さな花なのに、生命感溢れる美しさに、息を呑みました。

とにかく写真を見て下さい。共感をいただけるしょうか?

 


初めてのテレビ取材。スカイツリー~江戸一目図の関連で紹介

NHK岡山放送局からテレビ取材を受けました。江戸一目図屏風に関連した話題として、紹介をされるとのことです。

ちょっとした俳優気分を味わいましたよ~♪

取材をされたスタッフの方々からは、少しでも良い番組づくりを目指そうとする情熱が、じわっと伝わってきました。また、本当に気持ちの良い方ばかりでした。