小刀ができあがりました

3月17日に東京の小柄工房で鍛冶作業体験したお話を、すでに何回かに分けて、お知らせしています。

4月29日に、この時に作成した小刀が、完成品となって届きました。16日の作業後、研師さんが研ぎ上げたものを、白鞘に収めたものです。

 

素敵な布袋に入っていました。品の良い白地の柄に、目の覚めるような裏地の色合いが嬉しいです。

この時点で、もう100%満足!

 

 

 

小刀は、鞘師さんが拵えた白鞘に納められていました。

「平茂」と、覚束ない筆跡で、銘を打っているのが分かりますか?

 

 

 

抜いたところです。それらしい雰囲気があるでしょ。刃文が、はっきり見えますね。

 

 

 

次の機会に、まだ説明していない作業工程の絡みで、反省点なども自ら暴露したいと思います。さらに小刀に接近してみますので、乞うご期待。

 


天皇賞の軸に、ゴールデンハインドを指名

早いもので、もう春の天皇賞ですね。作家平茂寛は、今年の本命に、6番ゴールデンハインドを指名します。

平茂寛は、畜産関係者という仕事柄、動物の心理や記憶の方法に、少なからぬ拘りと知識があります。馬は賢い。競走の状況を、画像記憶として残しています。しばらく低迷していた馬が、かつて勝利した場に臨むと、一変する場合がありますよね。

ゴールデンハインドは、休養前に、今回とよく似た条件の京都競馬場三千メートルを圧勝しました。まさに、コレです! 最大のアピールポイント。

さらに徹底して、ステイヤーとしての使われ方をしています。今回のJRAのキャッチコピーは、「最強ステイヤーを決める伝統の一戦」です。この言葉にも、ぴったし! 加えて、言うまでもなく先行馬有利の馬場。条件は揃いました。

一方、大本命のオルフェーブルは厳しいと見ます。

大本命に祭り上げられたうえに、真っ直ぐ走る保証がない。試験と本番では違う。観衆の声に触発され、前回の競争記憶がオルフェーブルの頭に蘇るかもしれない。その意味でも大外枠は不安・・・池添騎手の心中では、幾つもの不安とプレッシャーが渦巻いているでしょう。

絶対勝てると周囲から思われているのに、本人には、根本的な不安がある。そんな懸念を無視するかのように、レース(果たし合い)の刻限が、じわじわと迫ってくる。いかにも時代小説に使えそうなテーマでもあります。

ともかく、今回の結論としては、池添騎手は、レースに集中できないと思います。それで勝てるほどGⅠは甘くない。

と、言うわけで、1番ビートブラック、3番ナムラクレセント、10番ケイアイドウゾジン、16番トーセンジョーダン、敬意を表して18番オルフェーブルへの馬番連勝5点流しで勝負します。

さて、どうなりますか。


備前長船日本刀傳習所を訪問

4月22日に、岡山県瀬戸市の備前長船日本刀傳習所を訪問しました。

代表の上田祐定(うえたすけさだ)親方から、お忙しい中、長時間を割いていただき、いろいろと、刀鍛冶にまつわる、お話を伺いました。

上田親方の刀造りは、砂鉄の吟味から始まります。全国各地から集めた砂を分析し、得たデータもをもとに、造ろうとする刀に、最も適したブレンドをするというものです。ここまでは、すこぶる科学的!

ですが、その先からは、古式に基づきます。たたらを吹いて、ブレンドした砂鉄から鋼を取り出し、これを鍛えて刀に仕上げるのです。

刀工のほとんどが、島根県で生産される一律の玉鋼(たまはがね)を用いて刀を造ります。上田親方のように、砂鉄から造る刀工(これを大鍛冶と呼びます。刀を鍛えるだけなら、小鍛冶と呼びます)は、全国で5人程度とか。

弟子も6人と、全国最多。日本が決して失ってはならない文化の伝承者であることを強く自負され、1年365日の全ての時間を、刀造りと後継者の育成に捧げています。

写真は、お弟子さんによる、古式の鍛刀作業。槌を振るう三人のことを、先手(さきて)と呼びます。

奥で一人座っているのが、分かりますか? この人が、鍛刀の指揮者であり、作業の中心人物となります。右端に見えるのが、小型のたたら。

 

 

 


最近の買い物

最近購入した物と言えば、コレです。

レザーベルトと呼ぶものです。重量挙げの選手なんかが腰に巻いているアレと同じもので(たぶん)、私の場合、バーベルをスクワットで上げる時に使います。もっとも、持ち上げているのでは、せいぜい自分の体重ぐらいです。あくまで腰を痛めないようにするための道具なので。

「ゴールド・ジム」と、字が見えますが、これは、スポーツジムの名で、ムキムキに鍛えている人たちには、憧れの場所らしいですよ(日本にも数カ所あります)。

 


マイラーズカップの結果は

プロフィールにも書いておりますが、平茂寛は、競馬が好きです。

日曜日は、京都競馬場メインレースの第43回マイラーズカップにチャレンジしました。17番シルポートからの馬番連勝6点流しで勝負。

とにかく逃げ馬が好きなんですよ。特に、シルポートみたいに、必ずハナを切る馬がねー。道中は先頭だから、ずっとテレビに映ってるので応援しやすい。さらに、他の馬に抜かれない限り、最も勝つ可能性が高い、という、アホみたいな単純な理由からです。

これが、競馬歴38年で行き着いた、私なりの境地なので致し方ありません。貫くのみ。でも、まんまと逃げ切った時の爽快感は、また格別デス!

結果は予想通り、シルポートの鮮やかな逃げ切りでした。でも、組み合わせの2着が違う馬だったので、結果としては、ハズレ……。

なかなか、思い通りにはなりません。


本所のおかく

前回に引き続き、「湯島のおよし」とほぼ同時代にいた「本所のおかく」という烈女を紹介しましょう。なお、資料の出所は、前回と同じ、鳶魚江戸文庫9です。

「おかく」は、回向院の裏手に住んでいました。常日頃から、博打場に出入りしており、尻には蟹の入墨をしていました。気性の荒い臥煙(がえん・幕府の火消屋敷に住み込んでいた者)連中ですら、文句が言えなかったようなので、さぞや、勢いが良かったのでしょう。

毎朝、銭湯に行き、帰りは真っ裸に緋縮緬の褌一丁の姿。さらに、立小便までしたといいます。なお、このころ、赤い褌を締めている女性は、「おかく」以外にも、少なからず、いたようです。

強請(ゆすり)もしましたが、「湯島のおよし」と同じく、喧嘩の仲裁もするため、周囲からは、「偉者(えらもの。偉い人の意味)」などと言われていました。

 

 


湯島のおよし

三田村鳶魚の鳶魚江戸文庫9「江戸っ子」から、一つ話題を。

江戸は、女の数が少なくて、「独身者が多いため」に、ずいぶんと女性が威張っていたようです。中には、風体も言葉遣いも、さらには心意気までも男勝りの女がいました。

例として、文化文政の時代に生きた「湯島のおよし」という女性が紹介されています。

この「およし」。たいそう色白の美人だったとか。その美人が、喧嘩があると聞くと、颯爽と出掛けて行き、なんなく収めてしまう。しかも、驚くべき方法で。

なんと、着ている着物を、すぱっと脱ぎ捨て、真っ裸になって、抜き身を振り回している者の側に飛び込んで行くのです。

大暴れしていた者が、呆気にとられているうちに、手首を押さえ、刀を取り上げてしまうのだとか。当時は、大評判の女性だったようです。

うーん。江戸時代って、ホントに面白いですね。

 


桜の花が落ちていた理由

以前の投稿で、桜が花弁を散らさずに、花ごと散っている現象について、書きましたが、知り合いの博識人ハシさんから、雀の仕業ではないか、とのご指摘をもらいました。実際に、そういった場面を見た人もいるとのこと。

 

花ごと散っている桜の写真。雀の仕業とは!


通勤路の風景3

岡山駅から職場までの間にある西川緑道公園の風景を2つ。

鮮やかなパンジーの色(写真は今ひとつですが、現物はホントに綺麗でした)。管理をされている方の苦労が偲ばれます。

花見の場所取りシートも、シーズン終了間際となると、散りゆく桜が積もり・・・・ちょっと寂しい風情。季節の移ろいを感じますねー。

 


千石坂の名の由来は?

津山城の冠木門に向かう道の途中に、ひっそりとある千石坂。

50mほどの急な坂で、下れば、津山の中心街を南北に貫いている鶴山通りに、行き当たります。

それにしても「千石坂」とは? 名前の由来を調べようとして、横関英一著の「江戸の坂東京の坂」を開いてみましたが、江戸には、同じ名称の坂はなく、参考になりませんでした。

そこで、推定をしてみます。この坂の両側、あるいは下ったところには、当時、武家屋敷が固まっていました。城のすぐ近くなので、高い役職の家人がいたと思われます。

津山松平藩の時代に名付けられたとすれば、家老クラスの俸禄が千石程度(中には、千石ジャストの家老もいる)なので、この坂の周囲に、家老の屋敷があったから、こうした名称になったのではないでしょうか。

ちなみに津山森藩の時代では、年寄クラスが千石相当の役職でしたので、その時に名付けられたとしたら、年寄クラスの屋敷があったのかもしれません。

以上は、想像なので。ご存知の方がおられたら、教えて下さい。