神田お玉が池

1月20日に神田お玉が池の跡を訪ねました。

その理由は、神田弁慶橋岩本町に住んでいた鍬形恵斎が、文化十二年(一八一五)の頃に、神田お玉が池に移り住んだからです。ここで恵斎は没したようです。

お玉が池は、江戸のはじめまでは、不忍池よりも広かったらしいのですが、だんだんと埋め立てられ、今は池は消えています。当時は、桜の名所として知られ、周囲には文人や学者が数多く住んでいました。

恵斎は、池やその畔の景観、春には桜を楽しみながら、画人や文人と交友していたのでしょう。

お玉が池は、江戸で最初につくられた種痘所のあった地としても有名です。この種痘所の話は、津山の蘭学の歴史へと結びついていきます。津山洋学資料館という立派な展示施設があるのですが、いつかの機会に紹介したいと思います。

今は、大通りから入ったビルの谷間に、小さな稲荷神社があるだけです。

少し離れた場所に、泉麻人さんの書かれた「神田松枝町」の説明板がありました。お玉が池の由来が書いてあります。

 

 


鍬形恵斎の墓所

昨年の10月23日に、恵斎の墓所を訪ねました。

今回の受賞のお礼と、「隈取絵師」の出版が決まったことを報告するためでした。

場所は東京都中野区沼袋の密蔵院。中野駅から、タクシーで10分ぐらいのところにありました。

恵斎の法名は彩淡蕙斎居士(こちらの「けいさい」の漢字が正式)。左から二人目に読み取れます。下には「鍬形」の大きな二文字が目立ってますね。

墓石の上部が、庇の端をつんと持ち上げた帽子のような形状にしてあり、「小粋だろう」と、にやついて立つ恵斎の姿が、見えるような気がしました。

住職さんのお話では、恵斎の墓を参る人は、あまりいないとのことでした。

「これからは、ぐっと増えますよ」という言葉を、心で呟き、墓所を後にしました。


山田剛 作 「大江戸旅の用心棒」シリーズ

「雪見の刺客」 山田剛 作 「大江戸旅の用心棒」シリーズ「露草の契り」 山田剛 作 「大江戸旅の用心棒」シリーズ

山田剛 作 「大江戸旅の用心棒」シリーズ
えっ? これって、江戸時代の旅行添乗員、兼ガードマン?
人情味溢れ、なおかつ爽やかな筆致が小気味いい作品です。是非ご一読を!

「雪見の刺客」
新十郎を筆頭に、魅力溢れる登場人物が、顔を揃えて行く。観光ブームに湧く、江戸に生まれた珍商売とは? 「江戸時代って、いいな。楽しそう!」などと、つい思ってしまいます。

「露草の契り」
二編あるうちの書名にもなっている「露草の契り」が、絶品。葉津の健気さ、儚さは、泣かせます。登場人物の心の動きも、読みドコロ。次作が楽しみ。