長法寺 多宝塔供養祭で紫陽花の腰高屏風を堪能

津山市の長法寺は、別名あじさい寺と呼ばれており、毎年季節になると境内いっぱいに植えられたあじさいが花開き、見物客も多く訪れます。P1020849

長法寺では、本年、6月20日~21日にあじさい祭りが行われ、21日には多宝塔の供養祭も同時に行われました(写真は1週間前の花の様子)。
供養祭のときに、津山城本丸御殿にあった紫陽花の絵が公開されると聞き、平茂寬は長法寺に出かけました。

 

津山城の本丸御殿は文化六年(一八〇九)に焼失しました。
津山藩の絵師・鍬形蕙斎は、その翌年、江戸から津山に入りました。狩野派の狩野如慶とともに再建した本丸御殿の襖絵を描くよう命じられたのです。 二人の絵師は協力せずに、部屋を分担したようです。
津山郷土博物館の尾島館長は、「紫陽花の間」の襖絵を蕙斎が担当した(描いた)可能性があると、かつて示唆されています。
当時は、部屋の名称に合った襖絵が描かれるはずなので、紫陽花の間には紫陽花の襖絵があったはずなのです。
長法寺に残る腰高障子の紫陽花は、本丸御殿の襖に描かれていた絵を腰高障子に仕立て直したと、平茂寬は想像しています。つまり、今回拝観した腰高障子の絵(の一部)は、蕙斎作なのかもしれない――かなり興奮しました。P1020865
P1020862現物は写真のとおりです。とても大事に保管されており、金泥が鮮やかでした。P1020868

しかし、これまで見てきた蕙斎の絵とは筆致がかなり違うように思えたのも、正直なところでした。
そうすると、説明文にあるように狩野派の絵師の作品になるのかな。だとしたら、残念!

ともあれ、津山城の一部が、とてもきれいな状態で保存されていることに大いに驚きました。


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