鍬形蕙斎豆知識。生い立ちから絵師デビューまで。

鍬形蕙斎は、江戸の畳職人・赤羽義珍の子として生まれました。

父義珍は、もとは駿州興津の人で、田中姓でしたが、後に、下野国那須猿子村の農家・赤羽源左衛門の養子となって赤羽姓となり、やがて、江戸に出て畳職を生業としました。

蕙斎の生年にについては、二説ありますが、最近は、明和元年(一七六四)が有力とされています。名を、三二郎(さんじろう)といい、周りからは「畳屋の三公」と呼ばれていました。

小さい頃から絵を好み、十二、三歳の頃に、浮世絵師北尾重政の許に入門したようです。当時の重政は、鈴木春信亡きあとの浮世絵画壇を支える絵師の一人として、大活躍していました。

絵師として世にデビューしたのは、入門後、僅か二、三年後の安永七年(一七七八)。北尾三治郎の画号で、黄表紙(大人向けの絵本)仕立ての咄本(笑話本)『小鍋立』(こなべだて)の挿絵を描きました。

[はなし]見開き写真

上の写真は「小鍋立」と同時期に、蕙斎が描いた咄本「柱」(はなし)の挿絵(福岡大学図書館HPより)。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です