第四章 時を積もる 8 (8月14日の投稿から連載している小説です)

測地を開始してから、五日目の朝を迎えた。
嘉芽市は、現地作業の締め括りとなる方位角の測定を開始しようとしていた。
いつにも増して期するところがあった。「方位角誤差の目標である三十分よりも、細かな刻みで方位を積もるには、如何にしたらよいのか?」という難題への解答を試される時が、いよいよ到来したのである。
嘉芽市が、人夫に運ばせた荷の中から、満を持して取り出したのは、これまで使用してきたものと同じ方位盤だった。
「この測器に見覚えはございませぬか?」
急に声を掛けられた武三郎は、、小さな目をぱちくりとさせた。
「その測器は、確か……」
武三郎は、嘉芽市の屋敷で見た方位盤を覚えていたようだ。
嘉芽市は、ずしりと重い方位盤を、地面にそおっと置き、《座板》(ざいた)を指し示した。
「この板を御覧下さいませ。武三郎様が、讃岐国で実見された地平儀の真鍮(しんちゅう)板に似ておりましょう?」
方位盤の《座板》の形状が、以前とは異なっていた。
《座板》の先端の幅が三倍に広がり、杓文字(しゃもじ)に似た形にしてある。しかも、杓文字の皿形には穴が穿たれ、下の円盤に付された目盛を覗ける構造になっていた。
「穴に沿って、下の円盤の目盛と向き合うよう、目盛が刻んでございます」

 嘉芽市は、《座板》に付された目盛を指でさすった。
「この目盛は、遊標(バーニヤ)と申すものにてございまする」
「ばあにや? 如何ほど妙な呼び名でござるな」
飾り気のない素朴な言いっぷりに、思わず吹き出しそうになる。
「この遊標を以てすれば、円盤の目盛よりも細かな測値が読み取れるのでございます」
「それは、不思議な」
「この方位盤の遊標には、円盤の目盛八つ分の長さを、九に等分した目盛を付しております。斯様に致しますと、円盤の一目盛を九で帰した(割った)数まで読めまする。方位盤の一目盛は、一度三十分でございますから、分に直せば九十分。しからば、九十分を九で帰した十分の刻みで、測値が読めるのでございます」
嘉芽市は、口を動かしながら、《座板》が発する、真新しい真鍮の光沢に目を細めた。
「武三郎様から承った話のお陰で、解決方法を見出せました。感謝のしようもございませぬ」
嘉芽市は、周介の庵で、遊標の記述を載せた書を見付けた。屋敷に持ち帰り、貪るように何度も読み返し、原理を把握したのである。
「身共は、長崎の士圭細工(ごけいざいく)(時計細工)職人に図面を送り、細工を頼んだのでございます」
最小目盛一ミリメートルの測尺を例に、バーニヤの理屈を簡単に説明する。
本尺の目盛九つ分を十等分した目盛を、本尺と向き合う遊標に付した場合、遊標の目盛の幅は、九ミリメートルを十で除した〇・九ミリメートルであるから、本尺の目盛よりも〇・一ミリメートル短い。
かりに、ある物体の長さを測定したところ、遊標の目盛〇が、本尺の目盛の五ミリメートルと六ミリメートルの間にあり、かつ、遊標の目盛三が、本尺の目盛三と合っていたとする。
この時、遊標の目盛〇の位置は、本尺の目盛五ミリメートルよりも、〇・一ミリメートル×三目盛=〇・三ミリメートル先を示していることになる。従って、測定される長さは、五ミリメートル+〇・三ミリメートル=五・三ミリメートルと読めるのである。
以上のように、本尺と遊標の目盛の幅の差を利用して、本尺の目盛よりも細かい測値を得る。遊標は、現在でも経緯儀やノギスに使われている。
嘉芽市は、海を越えた讃岐の地の大人(たいじん)に思いを馳せた。
久米栄左衛門通賢(みちかた)は、後年(文政十二年)に大規模な塩田を築造したところから、「塩田の父」として知られている。だが、優れた発明家かつ測量技術者でもあり、我が国では、遊標を測量に用いた最初の人物でもあった。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です