第四章 時を積もる 7 (8月14日の投稿から連載している小説です)

三日後、ようやく嘉芽市は、測地の再開に漕ぎ着けた。給金を引き上げ、村人を説得して回り、何とか腰を上げさせたのだ。
「縄を張れいっ!」早朝の澄んだ空気の中で、嘉芽市は大きな掛け声を放った。
嘉芽市は、ほとんど睡眠を摂っていなかった。測地ができぬ間は、他の用務に懸かっていたからだ。一時たりとも無駄に浪費できない気がした。
飯場や鍛冶場の設計図を引き、普請に必要となる資材調達に走った。陣屋にも、何回も通わねばならなかった。
この日は、杭間の距離を測る計画だった。
杭毎に二人づつの人夫が当てられていた。一人は竿を杭の上に立て、もう一人は、間縄(けんなわ)と呼ばれる測尺を引っ張る。人夫どもの吐く息が、もわりと湯気になり、立ち上っては消えていった。

引っ張る力が変わらぬよう、間縄係の人夫は、測地期間中、同じ者を用いた。また、杭の中間にも二人が配され、手前側の杭から見通す嘉芽市の指示に従い、間縄が真っ直ぐになるよう修正した。

間縄は、上質の麻を固く捻り、三本縒りにして作る。太さ二分弱(五ミリメートル程度)、長さは六十間のものが多かった。一間ごとに印が付けてある。
麻縄は、水濡れや湿気で伸びる欠点があるため、青柿の渋を何度も塗って防いだ。が、如何にしても乾湿による伸縮は避けがたく、早朝の作業開始時、昼四ツ、昼八ツの三回は、伸縮を検査すべき――と、されていた。
今回の測地で求められる精度は高い。誤差を可能な限り小さくする必要があった。
そこで嘉芽市は、慎重を期すため、各杭間の測定前に、間竿(けんさお)を間縄の三箇所に当て、伸縮の度合いを記録していった。
間竿とは、樫の木で作った太さ二寸四方、長さ九尺の物差しだ。六寸刻みに目盛が付されている。測地終了後に、伸縮の度合いの記録を基にして、間縄で測定した値を補正するのである。
また、間縄では一間刻みの目盛しかないので、一間よりも細かな測値を見る時も、間縄の横から間竿を当てて調べた。
嘉芽市の間竿には、両端に、六寸を十分の一に刻んだ目盛が付してある。すなわち、百分の一間まで読み取れる仕組みになっていた。
「二十八けん、二しゃくぅ、四すん、とぉ二」
冷えた空気の中に、測値を読み上げる声が、きいんと響いた。
「二十八けん、二しゃく四すん二」
帳付け役の声が、直ぐ後に続く。聞き違い、書き違いがないかを確認するための復唱である。
嘉芽市が、こよなく愛する瞬間だった。ぞくぞくと身が引き締まるのを感じた。測地の作業が、あたかも荘厳な儀式のように感じられ、心地の良い緊張に全身が満たされる。
当時は、目盛の読み違いを重視していた。「ゆめゆめ、ぬし一人の目にて見極むべからず(『算法闕疑抄(さんぼうけつぎしょう)』磯村吉徳)」の一言に代表されるように、複数の観測者で見る方法が奨励されていた。
そこで嘉芽市は、武三郎と自らを含めた三人を目盛の読み手とし、三者のうちの二者以上が同じ読みとなるまで、観測を繰り返す方法を採った。
間尺による測地は、現代では、鋼巻尺(スチールテープ)による測量に相当する。
鋼巻尺の場合、鋼巻尺が製造時から有している誤差、温度による伸縮誤差、個人による読み取り誤差、尺を引っ張る力の違いから生ずる誤差を、縮小ないしは補正する。
製造時から有する誤差については、国土地理院が認めた基線場を使用し、鋼巻尺比較検定を実施して、尺常数(五十メートルの長さに対する補正値)を求める。
温度については、標準温度二十度との気温差に、膨張係数○・○○○○一一六を乗じた値で補正する。
また、個人による読み取り誤差は、一箇所の測定につき、二回の読み取りをし、二回の較差が一万分の一以下とならなければ、次の箇所には進めないものと定めている。さらに往復測量とし、行きと帰りで、前後の目盛の読定者を入れ替える。
尺を引く張力は十キログラムとしている。鋼巻尺に張力計を繋ぎ、十キログラムとなった時に、張力計の係が、「よしっ」と声を掛ける。尺の両端にいる読定者が、合図を聞いて読み取るのである。
嘉芽市の採った観測方法は、製造時の誤差を除いては、各誤差に対応しており、現代の方法に劣らない精度を確保したものと言えた。


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