第四章 時を積もる 15 (8月14日の投稿から連載している小説です)

十二月も半ばを迎え、冷え込みが一段と厳しくなっている。だが、嘉芽市の身体は、芯から熱を帯び、時に額の汗を拭うほどだった。
武三郎と嘉芽市は、先刻からずっと膝を畳に衝き、尻を持ち上げた姿勢で向かい合っている。今にも額がぶつかりそうになるほど、顔が近い。
武三郎は、畳に拡げた図面の上を、扇子の先で指し示した。
「如何に硬い岩場でも、陽や雨風に晒された面(おもて)は脆いものでござる。殊に、此度のように、勾配のきつい斜面に坑口を穿つ場合には、掘り始めた直後の崩れが心配でござる。予め、坑口の周りの土被りや脆い岩を、削り取っておくべきでござろう」
「承知致しました。早速、明日から、取り掛かりまする」
測地の成果を纏めて以来、嘉芽市は多忙ながらも、充実した日々を送っている。何より、武三郎が、いろいろな相談に乗り、かつ協力を惜しまないのが心強かった。
「人夫は、石工(いしく)(掘削人夫のこと)四千二百人、役夫二千八百人」
何れも、〝延べ〟の数字である。
「数を、どのように積もったのでござるか?」
「はい、石工は、南北の坑口ごとに、六名を常に置くように致しまする。二名づつ三組とし、半刻(一時間)ごとに交代で、夜っぴきの掘削をさせまする。さすれば、三百五十日で隧道は貫通できるものと思いまする」
測地の結果、隧道の長さは、一町よりもやや短い、五十六間二尺六寸(102m)だった。南北両側から、日に五寸(15cm)ずつ掘り進めれば、三百三十九日で落ち合う計算だ。
嘉芽市は、さらに若干の余裕を見込み、工期を三百五十日と設定した。
武三郎は、二度、大きく頷いた。
「次に、役夫でございます。六尺四方の隧道を五十六間も穿てば、五十六坪(立方間)の岩屑ができまする。『改算記』(万治二年 山田政重著)によれば、人が一回に運ぶ土の量を、〇〇〇三六坪としております。すると、全体で一万五千五百五十五回、一日にして凡そ四十四回で運び出せまする。岩屑の捨て場までは、四半里(1km)あり、荷を担(かた)いでの往復に半刻を要しまする故、人夫一人の一日に運べる回数は、十~十二回がせいぜい。そこで、常時四人の役夫が必要と積もりました。なお、岩屑を掻き集める者も、南北に一人づつ必要か――と」
「すると、常時六人となるが、それだと、三百五十日を乗じても二千百人にしかならぬな。二千八百人との差は、何なのでござるか?」
「はい、脆い地層に当たったり、水が出る場合もございますれば、多めに積もっておりまする。飯場の飯炊き女も要りますれば」
崩れやすい層では、木を組み、隧道を支えねばならない。材木を山から切り出す者、隧道に運び込む者、組む者が要る。水が出れば、水替え(排水)にあたる者も、必要となる。
「なるほど、分かり申した。ところで、小鍛冶(鍛冶職人)は何人雇うつもりでござるか?」
「二人おればよいものと。南北坑口毎に、小鍛冶一人づつを宛がう算用にてございます」
「それは如何なものか。岩を叩けば、鑿(のみ)の減りは早うござる。拙者が思うところ、四人は欲しい」
武三郎は、黒目をきらっと光らせた。いつもより強い語調で、小鍛冶の増員を主張する。大事な要点を告げようとする意図が感じられた。
もう子の刻(午前零時)が近かったが、まだまだ話し合いの終わる兆しはない。行灯の灯りが、二人の顔を、ぽっかりと暖かく照らしていた。


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