第四章 時を積もる 11 (8月14日の投稿から連載している小説です)

嘉芽市は目覚めた。昨日、どのように屋敷まで戻って来たのか、全く記憶に残っていない。
ただ、今朝は、身体全体がずっしりと重く気怠かった。溜まりに溜まっていた疲労が、一気に噴き出したかのようだ。
意識がはっきりすると、前日の光景が頭に浮かんできた。周介や清助、さらには、人夫どもの顔までが一人一人、順繰りに現れる。
どの顔も、嘉芽市を厳しく非難している。武三郎までが、そっぽを向いているではないか!
嘉芽市は、惨めな気持ちに陥った。声にならない呻きが、口から漏れる。
障子を通して入ってくる光が、いつに増して白かった。
ぞりっぞりっと、下男が雪を除けている音が聞こえる。
「雪が積もっておるのか?」
はっとして、寝床から起き上がった。
眠りに落ちているうちに、雨は雪に変わったらしい。積雪の量が心配になり、蹌踉めく足で、どたどたと母屋の外に出る。
足を雪に踏み入れると、脛の中程までが、すぶりと沈み込んだ。
「一尺か! これでは、杭は雪の下に……」
真っ白に染まった天を仰ぐ。雪の勢いは、当分は衰える様子がない。測地の再開は、とうてい無理と思えた。
杭のある場所に、目印となる竿を立てておけばよかった――と、悔んでも、後の祭りである。
測地の遅れは、引き続く手順に影響する。人夫の数や資材の量、さらに経費の見積もりが遅れれば、後々の工程に過大な付けが回るだろう。
身動きの取れぬまま、刻々と時のみが過ぎて行く苦しさ――嘉芽市の焦心は掻き立てられた。
嘉芽市は、「やはり、待てぬ」と叫ぶと、踵を返した。今から、無理でも人夫を呼び集め、杭を掘り当て、測地を再開しようと決めたのだ。
ところが、母屋に向けて二、三歩ほど進んだところで、横から突然に、「嘉芽市殿」と、腹の底に響く太い声で呼び止められた。
「武三郎様?」
嘉芽市には、武三郎が、忽然と顕れたように感じられた。
「随分と急いでおるようでござるな」
武三郎の頭と肩は、真っ白だ。箕も笠も使わず、嘉芽市の屋敷にやって来たようだった。
「あと二十日余りの間に、普請の準備を、全て整えねておかねば。雪が止むまで待てませぬ」
武三郎は、ふうん、と鼻を鳴らすと、嘉芽市に、ずばっと切り込んできた。
「ならば問うが、その普請の準備とやらは、嘉芽市殿一人の手でなし得るものでござるか?」
「うぐっ、それは……」嘉芽市は返事に詰まった。
「拙者の父も、振距師でござった。父から、よく聞かされた話がござる。元締めから、端っぱの人夫に至るまで――凡そ普請に携わる者は須(すべから)く、普請が終了するまでは、大なり小なり、不安に駆られるもの。指揮する者が、憂色や焦りを見せれば、不安の色は直ぐに現場全体を染める。さすれば人夫の気は萎え、ひいては普請も滞る――と」
昨日の現場を思い起こす。嘉芽市が採った態度や人夫どもの見せた反応は、まさに武三郎の例話そのままではなかったか?
嘉芽市は図星を指され、返す言葉もない。
続く武三郎の言葉には、労りが籠もっていた。
「父は、こうも申しておった。指揮する者は、たとい不安や焦りを感じていようとも、ゆっくり構えて見せるのが肝心。場合によっては、人夫どもの不安にさえ気付かぬ振りをせよ――と」
武三郎は、嘉芽市の逸る気持ちを案じて、諭しに来たに違いなかった。言わば、振距術における帝王学を伝授するため、雪まみれになって馳せ参じて来たのだ。
「武三郎様、忝(かたじけ)のうござりまする」
率直な感謝の言葉が、口から自然に出た。


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