第六章 甲州流土木法 13 (8月14日の投稿から連載している小説です)

若侍は、小さな峠の頂にある四つ辻を、北に進んだ。
五町ほど、ゆるゆると峠を下ると、右手に八ヶ原池が現れる。
池沿いに続く道は、隣村である安井村へと繋がっていた。だが、若侍は、安井には向かわず、道の左側に口を開いた山道に入って行った。
普段、この山道を使う者は少なかった。せいぜいが、草刈りの時に使用する程度だ。ために、人の手が入らず、荒れ放題となっている。
両側から木々の枝が迫り出し、嘉芽市らの頭の上を鬱蒼と覆っていた。じめじめと湿った足元を踏み締める度に、朽ちた葉が饐えた匂いを発する。
山道は、途中から二股に分かれた。まだ道らしき体裁を辛うじて残している本道と、草が被り、消えかかっている脇道だ。
若侍は、何の逡巡も見せず、脇道に足を踏み入れた。腰の高さほどもある枯れ草を掻き分け、進んで行く。
西から北へと鋭角に曲がり込んだところで、若侍は、歩を止めた。
「本堂の中で、左京様はお待ちである」
若侍が指差す先には、打ち捨てられた廃寺があった。 敷地全体に、雑草がばらばらと生えている。
中央にある本堂は、屋根ごと傾き、今にも崩れ落ちそうだ。右に植えられている大木が、不気味なまでに枝を広げ、本堂を飲み込もうとしていた。
若侍は、廃寺の前までの誘導のみが役割だったらしい。さっさと山道に戻って行った。
嘉芽市は、本堂に向かった。がたがたに歪んだ石段を上がり、軋む格子扉を開く。途端に、何者かに腕を掴まれ、中に引っ張り込まれた。
そのまま強い力で、床に転がされる。積もった埃が、ばっと舞い、視界は、一瞬、真っ白になった。
「中村嘉芽市だな。この前は不覚を取ったが、今日は逃がさぬぞ」
黒覆面で顔を包んだ四人の武士が、板の上に横倒しとなった嘉芽市を囲んでいた。
八月に襲った一派に違いなかった。
混乱する頭で、本堂の中を見回す。
「左京様は何処に?」
己が窮地の真っ只中にあるにも拘わらず、左京の身を案じた。
「二宮左京か? 相変わらず、逃げ足の速い奴よ。取り逃がしたわ」
背が高く、痩せ型の男が、憎々しげに吐き捨てた。
嘉芽市は、左京が危機を逃れた――と、聞いて安堵した。最大の懸念が消え、落ち着きを得ると、だんだんと肝が据わって来た。
「身共を、どうするおつもりですか?」
「知れたこと――斬る。左京は捕まえ損ねたが、替わりに、またとない獲物が転がり込んで来た。お前さえいなくなれば、普請は頓挫する」
「普請は、もはや成就できぬ運びとなりました。今更、身共をお斬りになったとて、刃が痛むだけでございます。もう、内輪揉めとなる原因は消えました。左京様へのお手出しも、無用にてございまする」
四人は大笑いを始めた。ひいひい苦しそうに息を継ぎながら、肩幅の広い男が口を開く。
「命乞いと思いきや、我らに注文とは恐れ入った」
言い捨てるや、きらっと太刀を抜き払った。
嘉芽市は、正座に座り直すと、静かに目を閉じた。全てが頓挫した今、生き延びてなんとなろう。
「ほほう、覚悟を決めたと見える。それでは、望み通りとしてやろう」
太刀の先が、高々と持ち上げられる気配がした。


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