第六章 甲州流土木法 1 (8月14日の投稿から連載している小説です)

九月も半ばを過ぎようとしていた。
空はどんよりと曇り、山裾から、身を切るような寒風が吹き下りていた。
がさがさと耳障りな音を立て、皺くちゃとなった朽葉が地面を転がっていく。
嘉芽市は、足裏から迫り上がる冷感に、腕と首をぶるっと竦めた。
水神の祟りに怖れをなした人夫どもが、一人、また一人と、普請現場から消えていた。
欠員が生じる度に、周辺の村を巡り補充に努めた。だが、近辺の村々で水神の噂を知らぬ者はいない。いくら日当が高くとも、招集に応じる者は少なかった。
とてもではないが、人夫を選別する余裕はない。質が低く技能も伴わない人材の割合が増えるほどに、作業の効率は低下した。
「もう我慢ができませぬ」
石工が二人、口を揃えて嘉芽市に不満を訴えている。
当初から普請に携わった石工が、次々と辞めていた。未だに現場に踏み留まっているのは、嘉芽市の前にいる二人を含む、三人のみだった。
二人とも、祟りは怖れているものの、日当の魅力に抗えず、現場に通って来ていた。
さほど手が立つわけではなく、働く意欲も低い石工どもだったが、今は貴重な存在となっている。
右側の石工が、並びの悪い歯を剥き出した。
「新しゅう来る者(もん)にゃあ、ろくな奴がおらん。目を離しゃあ、直ぐに手を抜く田羅図者(だらずもん)、動きが遅うて、さっぱり役立たない出来損ない――足しになるどころか、足を引っ張られる始末にございますけえ」
自ら人夫の確保に当たっている嘉芽市には、容易に想像できる状況だった。それだけに、軽々しい相槌は返し難い。
石工どもは、血走った目で互いに目配せすると、黙り込んだ嘉芽市に切り出した。
「どうして、役立たずどもに渡す日当が、僕どもと同じなんでございますか?」
「そうじゃそうじゃ。仕事っぷりをば比べりゃあ、儂らの日当を、もっと増やいてもええはずじゃ」
石工どもは、日当の上乗せを要求しに来たのである。
もし、要求を拒絶し、さらに二人の経験者を失えば、普請は完全に暗礁に乗り上げる。最悪の事態を招かぬためには、石工どもの要求に屈せねばならなかった。
「そのほうどもの望みは、御代官様にお伺いを立ててみよう」
苦々しい気持ちで告げる。石工どもは要求が受諾された――と、受け止め、意気揚々と引き上げて行った。
嘉芽市には、気持ちを癒す間すら許されない。
別の石工が、南側坑口から走り出て来、大声で叫ぶ声が聞こえたのである。
「岩じゃ、岩! 岩が出たぞお!」
項垂れていた顔を持ち上げ、激しい胸騒ぎに苛まれながら、隧道の奥に向かって走り出した。足音が、隧道の壁に跳ね返され、不吉な音色を響かせる。
「こ、これは……」
切羽に到着した嘉芽市は絶句した。掘削面から、金剛石を思わせる鉛色の岩が顔を出している。
石工どもに命じ、広く削っていくと、真正面に、硬く巨大な岩塊が立ちはだかっていた。
一刻後には、事態はさらに厳しくなっていた。まるで調子を合わせたかのように、北側の掘削面にも硬質の岩が現れたのである。
掘り進み易い地層のみが、残された唯一の好材料だった。あらゆる条件が悪化していく。
嘉芽市は、運命にせせら笑われているような気がした。


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