第八章 亀、走れ! 7 (8月14日の投稿から連載している小説です)

「ここじゃ、ここじゃあ!」
甲高い石工の声を耳にして、嘉芽市は振り返る。
土壁の反対側から、鑿の音がはっきりと聞こえた。ごそっごそっと、だんだん大きく激しくなっていく。
嘉芽市は、水や侍どもの脅威を忘れ、貫通の時を待った。
すると、がすっと音がして、土壁に子供の頭ほどの穴が開いた。
同時に、冷気を孕んだ風が、轟々と音を立てて顔を過ぎる。
重みのある霊気が、通り過ぎたようにも感じられた。陰陽師の説明通り、結界が破れ、家基の魂が一つに戻ったのかもしれない。
風が止まると、南側から掘削をしていた人夫どもが、ひょっこりと顔を見せた。わあわあ叫び、喜んでいる。
人夫どもの動きが、さらに活発になった。汗を飛び散らせ、寄って集って、土壁を崩して行く。
穴が拡がるほどに、測地が如何に正確だったのか明らかになった。隧道の左右のずれ幅は、北側基準杭のずれと、ほぼ同じだった。
侍どもは、しばし、ぽかんと様子に見とれていた。己の任務を忘れ、人夫どもと喜びを共有しているようにも見える。
穴は、あっと言う間に全開した。
嘉芽市は、崩した土塊を畚に集めさせ、人夫どもを次々と南側坑口に走らせる。
「こりゃ! 何をしておるのだ! 追えっ! 斬れっ!」
左京が、いつまでも手を拱いている侍どもに、堪忍袋の緒を斬らした。
片や、武三郎は、水の中に、ずぶっと片膝を落とした。苦しげに、肩を激しく上下させている。
これほどまでに疲労困憊した武三郎を見た記憶がなかった。窮屈な姿勢の維持と、長時間に亘る精神と筋肉の緊張が、武三郎を加速度的に消耗させているのだ。
だが、武三郎は、片膝衝いた姿勢で、顎を大きくしゃくり、侍どもを睨み付けた。
侍どもを一歩も前に進ませない構えを見せる。
「水が参ります。逃げましょう」
嘉芽市は、人夫どもの全員が逃げ出したのを確認し、武三郎を促す。
水が膝の高さまで来ていた。いかに屈強な武三郎であっても、今は、逃げる以外に手がないはずだった。
武三郎は、誘いを拒否した。
「拙者は、大丈夫でござる。今少し、狼藉者どもを食い止める故、先に行かれよ」
「何を仰います。武三郎様を残しては、逃げられませぬ」
ところが、武三郎は、凄まじい怒号を嘉芽市に浴びせた。
「おぬしが横におれば足手纏いなのだ。拙者のためを思うならば、早う、走れっ!」
嘉芽市は、武三郎の本意を掴み、黙礼する。
足元にいるサキの手を取り、引っ張り起こし、ざぶざぶと水を掻き分け、走り始めた。
嘉芽市の背後で、「もう抗う力はないぞ。懸かれいっ!」と、声が響いた。水を押し退け、駆け寄る音とともに、刃が肉を断つ音が聞こえる。
「武三郎様、申し訳ございませぬ」
嘉芽市は、心中で手を合わせながら、サキの手を引き、ひた走った。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です