第八章 亀、走れ! 2 (8月14日の投稿から連載している小説です)

役人の姿が消えた隧道内は、がらんとした空気に支配された。人夫だけが、未だに諦めの付かない顔で居残っているばかりである。
南北から掘り進んで来た道が、擦れ違っているとしても、大きなずれではないはずだ。「この辺りか?」と、目星を付けて、そこら中を手当たり次第に掘る方法もなくはなかった。
しかし、あと半日もすれば、普請の期限を過ぎる。残された時間を、全て運任せの方法に使うのでは、無策に等しい。
石工どもが発する槌音の繰り返しが、空虚で無意味に聞こえた。
気が付けば、騒々しく響いていた雨音が鳴りを顰めている。怒濤の如く降り注いでいた雨も、さすがに降り疲れたようだった。
嘉芽市は、ふと、普請開始早々に発生した南側坑口前の杭盗難事件を連想した。
〝強硬派〟は、南側坑口の基準杭を抜き去り、さらに地面を荒らして、基準となる杭を抹消したのだった。だが、嘉芽市は、いとも簡単に基準杭を復活させてのけた。
では、〝強硬派〟が、「基準杭の抹消は効果なし」と判断し、術策を変えた――としたらどうか? たとえば、杭の位置を移し替え、かつ移動の事実を見破られぬよう、巧みに周囲を繕ったとしたら……。嘉芽市は、最初の手口の印象が強かった故に、見逃したかもしれない。
基準杭の位置が動けば、測地や計算が正確であればあるほど、南北の進路は合致しない結果となるではないか!
嘉芽市の身体は、もう動き出していた。人夫を五人選んで、引き連れ、坑口に向かう。
坑口を出て、基準杭の前に立つと、間竿と方位盤を持って来るよう命じた。
雨は上がっていたが、空気は湿り、ずっぷりと重い。いつまた降り始めてもおかしくなかった。
人夫が測器を運んで来ると、基準杭の周囲に打った「引照点」を探し、方位盤を据えさせた。間竿も使い、方位と距離から、基準杭が正しい位置にあるかを確認する。
「ふうむ。ここは問題なしか」
南側坑口の基準杭は正しい位置にあった。嘉芽市の推理が当て嵌まらない結果だ。が、嘉芽市は諦めない。
「よしっ、ならば北じゃ! これから北側の坑口に参るぞ」
人夫の一人が、心配そうな声で、嘉芽市に進言した。
「川の水嵩が、だいぶ上がっておりまする。これから北の坑口に向かうのは危ないのではございませぬか?」
北側坑口の下面は、川底よりも三尺余り低い位置にあった。ために、土嚢を高く積み、川が少しぐらい増水しても、坑内に入らぬよう対処している。
だが、季節外れの大雨が、何日も続いていた。予想を上回る域まで水位が上がり、土嚢をいつ越えても不思議でない状況となっていたのである。
「儂もそう思う。じゃが、北に行くのは、測地をするためだけではない。北側の坑内に石工どもが入っておる。危急の事態となっているならば、石工どもを助け、外に逃がさねばならぬであろう」
人夫どもは、「ほほお」と、声を漏らす。
「怖ければ、無理は申さぬ。従いて来る気のある者だけ参ればよい」
嘉芽市は、迷いのない声で言い切ると、武三郎と肩を並べ、ぐちゃぐちゃとなった地べたを踏み、歩き出した。
すると、危険を進言した男を含め、五人の人夫全員が嘉芽市に従った。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です