第五章 普請始まる 14 (8月14日の投稿から連載している小説です)

陣屋から駆け付けて来た武三郎が、夜陰に野太い声を響かせた。
「小鍛冶どもは無事でござるか?」
「大丈夫です。されども、伊助なる小鍛冶が火付けをし、姿を眩ました様子にございます」
「さすれば、陣屋の役人どもに命じ、伊助を捜させよう」
清助の不在時に、現場で緊急事態が発生した場合には、武三郎に指揮権が委ねられていた。
若干の落ち着きを得た嘉芽市だったが、慌ただしく駆け寄る足音を耳にして、再び緊張を強いられる。
嘉芽市の屋敷の下男が顕れ、苦しげな息を交え、口早に声を発する。
「大変です。御屋敷が火事でございます。お戻り下されませ」
寸分すら予期していなかった事態に心が乱れた。だが、嘉芽市は、下男の申し出をきっぱり却下した。
「儂は、御代官様から普請を信託された身じゃ。安易に現場を離れるわけには行かぬ」
指揮者としての任の全うを最優先と考えたのだ。
だが、武三郎が窘めた。
「ぐずぐずしている場合ではない。ここは拙者に任せられよ」
「この危急時に、私事を理由に現場を去れば、人夫どもの信頼を失いまする」
「家族に何かがあれば、如何致す? ――心に深い傷を拵えれば、指揮までもが荒(すさ)むもの。今は何より家が大事と思われよ」
武三郎からの激しい一喝に、落雷を受けたかのような衝撃が、身体を走り抜ける。
黙したまま、武三郎に深く低頭すると、素早く踵を返した。下男とともに屋敷に向かい、走り出す。
足が重く感じた。着物の襟や袖、裾から剥き出た肌を、冷たい風が礫の如く叩く。
普請への拘りから解放された頭の中に、父母や兄の幸一、妹の八重、ちゑの顔が、次々と浮かんで来た。
「頼む。皆、無事でおってくれい!」
無理矢理、胸中に抑え込んでいた感情が、不安が、迸り出る。
前を走っていた下男が、急に歩調を緩め、止まった。
「前のほうに、誰か……」
下男の声には、緊迫した響きが籠もっていた。


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