第五章 普請始まる 12 (8月14日の投稿から連載している小説です)

八月も終わりを迎えていた。
抜けるような青空が、数日間続いている。遠方に見える山々の緑が映え立ち、稜線を鮮やかに刻んでいた。
「これまでに、三十間を掘り進みましてございまする。隧道全体の間尺は五十六間にて、残るは二十六間。年末までには、じゅうぶんに貫通できるものと存じます」
嘉芽市の説明に、現場の監察に来た清助は、満足そうに頷く。
「人夫どもの様子は、どうだ?」
「警護の増員をお取り計らい頂いてからは、不審事が起こることもなく、よく落ち着き、皆、作事に精を出しておりまする」
「人手が足らずんば、陣屋から腕っ節の強い者を送り込もうか――とも思ったが、要らぬ心配のようであるな」
「い、いや、そこまでは……」
冗談めいた清助の口調と、恐縮する嘉芽市の様子を見て、取り巻く藩士から、朗らかな笑い声が起こった。
日当の上積み、警備強化、《交罅の計》――三つの手立てを実施して以来、ぷっつりと異変の発生は途絶え、人夫どもの志気も回復した。
甚だ順調な状況なのだが、喜んでばかりはいられない。
二月も何も起こらないと、どうしても気の緩みが出てくる。実際、陣屋の役人であれ、人夫であれ、異事が相次いだ頃に比べると、緊張感の低下は歴然としていた。
〝強硬派〟に隙を見せれば、「ここぞ」と、動き出すに違いない。どうにか工夫して、気持ちを引き締めねばならなかった。
一方では、掘削面が、岩層から土の層へと変化していた。固い地層のため、崩れる心配はなかったが、今後、地層が脆弱化すれば、武三郎言うところの「悪い山」になり、崩落事故の確率が高まる。怪我人でも出れば、またぞろ人夫どもの不安を惹起しかねなかった。
何処からか流れてきた雲が、天道を包み込む。景色が、一瞬のうちに淡い墨色で塗り潰された。冬の訪れを思わせる寒々とした気配が漂う。

嘉芽市は、暗くなってから屋敷に戻った。
夕刻から、強い風が吹き始め、木々の葉が揉まれ、擦れ合い、耳障りな音を繰り返している。
遅い夕食を摂っていると、下男が襖を開け、慌てふためいた顔を突き出した。
「鍛冶場から火が出た――との報せが参りましてございます!」
口元に寄せていた椀と箸を放り出した。直ぐに身支度をして、屋敷を飛び出す。
月明かりで仄かに照らされた道を、一大事を報せに来た人夫の背を追って走る。
腕を振りながら、唇を噛み締めた。憂慮が早くも現実になったのだ。
「やられた……。火付けじゃ」
〝強硬派〟は、石工や小鍛冶でなく、攻撃目標に鍛冶場を選んだ。
手痛い急所を衝かれた痛みが、胸を鋭く抉る。鑿の研磨・製造を行う鍛冶場は、普請の心臓部に相当した。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です