第五章 普請始まる 1 (8月14日の投稿から連載している小説です)

明けて正月二日。隧道の掘削がついに始まった。
二本の鑿の切歯が、次々に岩に打ち込まれた。衝撃を弾き返した岩肌から、ぎん、ぎん、と、鈍い金属音が響く。
「こりゃあ、思うたよりも、だいぶ硬そうなのう。小鍛冶どもが忙しゅうなるぞ」
仕事の順を待つ石工や、まだ用事のない役夫どもの話し声が聞こえて来る。皆、両腕を組み、並んで槌を振る二人の男の背中を眺めていた。
嘉芽市は、大きく息を吸い込むと、拳にぐいっと力を込め、サキに語り掛ける。
「サキ、始まったで。何としても、やり遂げる――見ていてくれい!」
地神を祀った小さな祠が、南側坑口の東側に設(しつら)えられていた。
つい先程、普請関係者全員が、祠の前に集い、安全祈願をしたばかりだった。祈願の際に振る舞われた酒の残り香が、うっすら辺りに漂っている。
周りを見渡せば、早朝に降った春雪で、野も山も、乳白色に染まっていた。
坑道の周囲だけは、行き来する人夫どもの踏みつけと熱気で、枯茶(からちゃ)に泥濘(ぬか)る地面(じずら)を現している。
嘉芽市は、じゅくじゅくと、泥を踏みつける音に気付いた。見れば、周介が歩み寄って来る。
先日、無様な姿を見られた記憶が蘇り、動悸が一気に高まった。
「亀や。とうとう、この日が来たのう。お前は方位盤を改良し、難題を見事に解決したと聞いた。もう儂の手を離れた。これからは己の裁量でやり遂げてみよ」
周介は笑みを浮かべ、嗄れた声で激励した。以前よりも、幾分か、頬が骨張って来たように見える。
「有り難き幸せにございまする」
口先では応分の礼を述べながらも、心中は全く正反対の思考に走っていた。
(先生は、この普請が失敗すると御判断され、儂に全てを任すと申されているのでは?)
嘉芽市の心に、もやもやとした疑念が生じた。
算学士の名誉に傷が付くような仕事は、自ら破門を申し出た背信者に任せ、責任を負わせる――さすれば、手痛い竹篦(しっぺ)返しにもなるではないか!
疑心暗鬼の作用なのか、周介の笑顔に、何やら含みがあるように見えて来る。横にいる清助の顔付きまでもが、怪しげに思えた。
嘉芽市の視線は、期せずして、武三郎を捜し彷徨う。が、姿は見えなかった。
武三郎は、人夫に作業の進め方を指導するため、祈願が終わると直ぐに、北側坑口に向け、出発していた。


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