第二章 藩命下る6

二日後の午の刻、嘉芽市は、武三郎とともに、隧道普請の予定地に向かった。
まずは、掘削箇所周辺の地形や地質、水の流れを調査しなければならない。工事の難易度、人夫の動員数、竣工までに必要な日数を割り出すためには、必須の事項である。
さらに、普請に必要となる資材の搬出入を行う作業道の確保、あるいは掘り出した岩や土の捨て場所を何処にするか――についても、考慮しておく必要があった。
堀坂に向かう嘉芽市の両足は、何重にも鉛を括り付けたかのように重い。大股の武三郎に、後ろから何度も尻を突かれそうになった。
未の刻前には、堀坂に到着した。嘉芽市は、胸に、息が詰まりそうな圧迫感を感じながら、村を視界に受け容れる。
堀坂の村は、荒涼とした濁水の湖から、洪水以前と変わらぬ姿に体裁を取り戻しつつあった。田圃は、整然とした刈り跡の株を晒している。寄せ集めの木々で作られた、家らしき造作物も、ちゃんとあった。
嘉芽市は、少し、救われた気持ちとなる。が、洪水の時を数倍も上回る心の痛みも味わっていた。村人の逞しさを突きつけられるほどに、己の無力をとことん思い知る気がしたのだ。
「サキ……」嘉芽市は、サキの体臭が鼻の奥に香った気がして、立ち止まった。
嘉芽市には分かっていた。サキが戻って来たわけではないのだ。強気に振る舞っていても、足下が崩れそうになれば、サキに縋る――未だに抜けきらぬ心の芯の弱さに、嘉芽市は唾を吐きかけたい気になる。
薄(すすき)が肌色の尾花を立ち上げていた。まだ緑を残す葉柄とともに、不規則に吹き様を変える風を受け、ざわっざわっと波打っている。
嘉芽市は、堀坂の村を抜け、隧道掘削予定地の近くまで来た。
平地と山形山の裾野との境目付近に立ち、僅かに覗いた地層の断面に目を遣る。すると、米粒のような細かなささくれが、表層に浮き出していた。
手を伸ばし、ささくれを指先で擦ると、ばらばらと、さほどの抵抗もなく崩れ落ちた。
現在でもトンネルを掘削する前には、嘉芽市らと同様に、地表地質調査を実施し、地表の状況、岩質、地質構造等を把握する。
ただ、地表地質調査だけでなく、ボーリング調査、弾性波調査、電気探査等を併せて実施し、表面からは見えない部分の地質や岩盤、地下水の状況等についても調査する。
山の中心部を調べる有効な手段がなかった嘉芽市の時代には、言うまでもなく、地表を見る他はなかった。
隧道に沿って山の上を歩いて、表土の状況や岩の露頭を見る。あるいは、沢に下りて、沢沿いに露出している岩盤から地質を判断した。
「武三郎様、いかにも脆く感じます。穴を穿つのは容易い――と、思いますが?」
武三郎は、ずいぶんと無口な男のようだった。この日も、嘉芽市と落ち合ってから、一刻を経過しているのに、一言も声を発していない。
嘉芽市は、武三郎の存在が、だんだんと気味悪く感じ始めた理由もあって、あえて、声を掛け、質問をぶつけてみた。
がらがらと、太い声が頭上から降ってきた。
「嘉芽市殿、山に穴を穿つ時に、第一に考えるべきは、掘り易さではござらぬ」
「えっ? それでは、いったい何が大事だと?」
「俗に「よい山」とは空普請(からふしん)のできる山――すなわち、掘りっぱなしで、格別、穴を支え保つための工作が不要な場所を申す。逆に「悪い山」とは、軟弱な土や脆い岩でできた山を指すのでござる」
嘉芽市は、極度の無口と思っていた武三郎が、意外にすらすらと答を返してきた事実に、へへえ――と驚く。
「つまり、掘り易さよりも、崩れ難さのほうが大事なのですね」
武三郎は、小さな目を光らせ、しゃくれ顎を大きく上下させた。
「さよう。崩れやすい穴を支えながらの作事は、思いの外、人も時も材も要するものでござる。さらに、いつ崩れるか分からぬのでは、人夫どもの仕事も及び腰となり申す。ついには、良い人夫は去り、給金のみが目当ての人夫ばかりとなるのでござる」
嘉芽市は、振距師の末裔らしい知識に、「なるほど」と、頷いた。
沈みきった嘉芽市の心の中に、新たな智を得る楽しさが、ぽっと温もりを灯らせた。
が、嘉芽市は、胸が時めくような喜びが沸き起こってくるのを、必死に否定しようとする。


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