第二章 藩命下る5

「亀、こちらは、井汲(いくみ)武三郎様じゃ。土浦から参られた。普請に御力を貸して下さる」
嘉芽市の不安を推し量ったように、周介が大男の紹介を始めた。
嘉芽市は、周介と清助ばかりに気を取られ、圧倒的に空間を占めている巨躯の男の存在を忘れていた。
周介は、ごほんと小さく咳払いしてから、話を続ける。
「儂は、木村軍太忠雄先生より南蛮流町見之術を学び、天明四年甲辰年に相伝を受け、印家を授かった。亀に教えた町見術は、軍太先生から学んだ南蛮流じゃ。じゃが、南蛮流の他にも、古くから伝わる金山を掘削する術があってな。武三郎様は、その技を引き継いだ御方なのじゃ」
周介の横から、清助がずいっと膝を乗り出し、補足の説明を始めた。
「御殿様(土屋彦直(よしなお))の御先代をずっと遡れば、法性院様(武田信玄)、景徳院様(武田勝頼)の武田家二代に仕えた忠臣の右衛門尉様(土屋昌恒(まさつね))に行き着く。亀も存じておろう?」
「はい。天目山での片手千人切りで、御名を戦国の世に轟かせた豪傑とお聞きしております」
「ところで、武田家には、甲州流なる優れた掘削術を身に付けた金山衆がおった。金山衆が黒川金山から掘り出す金こそが、武田家の豊富な軍資金の元だったのだ――そこまで話せば、亀にも察しがつこう」
「はっ。右衛門尉様の御嫡男・円覚寺様(土屋忠直(ただなお))が、権現様に召し抱えられた時に、甲州流の金山衆を何人か引き連れて参られたのではないか――と」
「その通りだ。武三郎は、金山衆の中にいた振距師(ふりがねし)の系統よ」
振距師とは、金山や銀山の坑内で測量をする技術者を意味した。
「井汲武三郎と申す」
武三郎は、雷のような声で、がらがらと嘉芽市に短く挨拶した。嘉芽市は、あたふたと頭を下げる。
唇が分厚く、口も大きい。長く、厳つい顔の下には、しゃくれた顎がぐっと前に突きだしている。目はとろんと小さい。表情が掴みにくい顔だ。
立ち上がれば、六尺はあろうか? 小紋模様に染めた煤竹色(すすたけいろ)の小袖の下に、鋼のような筋肉が息づいていた。
嘉芽市は、巨大な仁王像を思わせる武三郎の風貌に、取り付き難さを感じた。
「亀よ。隧道普請で分からぬところは、武三郎様にいろいろと聞くがよい」
周介は、嘉芽市の本音を無視して、どんどん話を進めて行こうとする。
だが、嘉芽市は、隧道普請の後まで、だらだらと算法との関わりを続けるのは、真っ平御免だった。
(よしっ。今を置いて他にはないっ!)
嘉芽市は、すっくと居住まいを正す。心ノ臓が、再び、とくとくと鼓動を早めた。
まずは改めて、正式に普請の受諾を宣言する。
「隧道普請の御命、謹んでお受け致します」
周介の顔に、ほっと安堵の表情が浮かんだ。
「ただし……」嘉芽市は、語調を硬くし、周介の顔をきっと見据える。
「此度の普請を終えた暁には、この嘉芽市、算学の道から決別致したく、失礼を重々存じ上げながら、先生に申し上げまする」
師匠に正面を切っての縁切りの直言――さすがに、柔和に見えていた周介の顔面にも変化が現れた。下唇がにゅっと前に出、目には厳しい光が宿った。すうすうと、荒くなった鼻息からは、嘉芽市に対する激しい憤懣が感じられた。
嘉芽市は、本来ならば、周介にとことん失礼を詫び、謝罪して許しを請うべきだった。
ところが、(何を、謝る必要などあるものかっ!)――嘉芽市は、素直な行動を拒んだ。周介の表情の硬化が、隧道普請の強引な押しつけに対する、嘉芽市の怒りを呼び起こしたからだ。
清助は、師弟間に流れた冷たい空気を察知したらしく、一瞬ちらりと戸惑いを見せた。
が、しょせんは、清助は周介の味方である。直ぐに、無礼この上ない言動への批判を籠め、嘉芽市をじっと睨んできた。
武三郎は、黙って座しているのみで、相変わらず、何を考えているのか、全く分からない。
外気の熱が、開け放たれた間口から、じわじわと部屋に流れ込んでいる。しかし、嘉芽市は、冷え冷えとした疎外感を感じていた。もっとも、算法を捨て去る気持ちには、些かの変化もなかった。


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