第二章 藩命下る11

「山や地を相手とする所業には、人智・人力では如何ともし難い場合もあるのではないですか? 斯様な場合にあっては、何人(なにびと)も、普請の未完を責められませぬ。つまり、嘉芽市殿の名誉も、師の名も、貶める結果にはならないのです。しからば、嘉芽市殿のお知恵を以てすれば、造作もないことではありませんか」
左京は、提示した問題に対する解答を、自ら示した。自然条件が原因となって、普請が失敗したように装えば大丈夫――と、言っているのだ。
しかし、嘉芽市は、左京の言い分には納得できなかった。
「身共は、この普請を最後に、算法から足を洗う決意をしておりまする。言わば、これが最後の仕事でございます。全身全霊を打ち込む覚悟にて、たとえ、完遂できなくとも、手を抜くことなど、決してできませぬ」
左京の頬がぴくりと動いた。嘉芽市の反論とは別の部分に、いたく興味を抱いたようだ。
「嘉芽市殿ほどの優秀な御方が、算学を捨てるとは? ――如何にも不可解な! もしよければ、拙者に理由を話してもらえませぬか?」
嘉芽市は、左京に背中を押された形になり、懺悔もどきの話を始めた。
「お恥ずかしい話ですが、身共は、この春、多くの人々を死に至らしめ、身共自身も多くのものを失ったのでございます。天地の力は強大です。算法の限界を痛いほど味わいました。そこで、算法を極める道に疑問を感じ、捨て去ろうと決意したのでございます」
左京は、大きく鼻で息を吸い込むと、これまでとは異なる、強い語調で嘉芽市を詰問した。
「ふむ、算法の限界ですか……。拙者には、嘉芽市殿の過信と勉強不足が原因だったように聞こえますが」
「うっ……」嘉芽市は、左京に舌鋒鋭く指摘され、大いにたじろぐ。
「嘉芽市殿が算法の道から去るなど、もってのほかです。むしろ、江戸に出て学ばれるべきでしょう。この左京、微力ながらも、お力になれます。天地の力に互する算法の体系を嘉芽市殿に学んで欲しいのです。時代は、近々必ずや変わります。その時には、嘉芽市殿のような優れた人材が必ず必要となります」
嘉芽市の向学心をきっちり掴んだ魅力溢れる提案だった。左京に協力すれば、憧れてきた江戸での勉学の日々が実現するというのだ。算法を捨てる――とした嘉芽市の決意まで、大きく揺らぎそうになった。
左京は、周囲をぐるりと見回すと、声を顰め、さらに、嘉芽市に語り掛けた。
「実は、大樹様に反発しておるのは、拙者どもだけではないのです。目指すところは同じでも、手段を選ばぬ〝強硬派〟がおります。拙者は、乱暴狼藉は好みませぬ。何とか連中を説き伏せ、穏便な手段での解決を図ろうとしております。嘉芽市殿が拙者どもに力を貸してくれれば、血を流さずに済みます。が、もし、「否」と申されるならば、拙者も、暴れ駒どもを抑えきれぬかもしれませぬ。罪もない者が傷つくことも考えられます。何より、嘉芽市殿の御身が心配です」
嘉芽市は、自分が襲われる――と聞いても、何ら恐れを感じなかった。が、狼藉者どもの手が、周介や家族にまで及ぶ可能性もある――と、考えれば、話は別だ。
(諸処の得失を一つ一つ積み上げていけば、大義に勝る場合もあるのかもしれぬな……)
嘉芽市は、ううむと唸りながら、両腕を抱き込んだ。


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