第三章 南蛮流町見之術 9

嘉芽市は、屋敷に戻ると、すぐに手元にある書物を読み漁った。目標とする誤差の値よりも、細かな刻みで方位を知る手立てを、探し求めたのだ。
脇には、荒々しく横に押し退けられた方位盤が、嘉芽市の雑な扱いに抗議するが如く、鈍く黒い光沢を発していた。
方位盤は、享和二年(一八〇二)に、加賀の算学士・石黒藤右衛門が著した『測遠用器の巻』を参考に、嘉芽市と周介で作製したものだった。

 厚み一寸半、縦横一尺一寸の四角い盤上に、方位目盛を刻んだ、円経(直径)九寸の円盤が貼り付けてある。盤の隅には、磁石が埋め込まれていた。
円盤の上には《座板》と呼ばれる幅一寸の真鍮でできた細長い板が、円盤の中心を軸にして、ぐるぐる回るように取り付けてある。
《座板》の長さは、円盤の円径に合わせてあった。《座板》の両端に近い部分は、半分の幅に切り欠いてあり、円盤の円周に沿って付された目盛りを読めるようにしてある。
《座板》の軸からは、七寸の真鍮製の心棒が立ち上がっていた。先っぽに、《天衡の定規》なる長さ一尺五寸、幅半寸の定規が取り付けてある。
定規の両端には、《星針》と呼ばれる目印の針が立ててあった。磁石で、方位盤を子午線に一致させた後、目標と両端の《星針》が一直線に見える位置に定規を回転させる。すると、《座板》も連動して動き、方位を読み取れる仕掛けとなっていた。
なお、定規は、心棒との接合部を中心として、天秤棒のように傾きを自由に変えられる。つまり、高低差のある目標にも照準を合わせられるよう工夫されていた。
扱い易い大きさに加え、機能性にも優れ、これまでの測地では、存分に役立ってきた方位盤だ。しかし今回ばかりは、致命的な目盛りの問題があり、活用の場面がなかった。
「ほう、《大丸(おおまる)》か……」
嘉芽市は、『量地指南後編』なる書物の中に、大磁石盤《大丸》についての記述を見出し、希望の芽を膨らませた。ちなみに『量地指南後編』は、伊勢の測量家・村井昌弘が宝暦四年(一七五四)に著していた。
《大丸》は、円盤の円径を大きくし、千二百まで目盛を刻んでいるという。目盛りの間隔が十八分となり、目標の三十分以下に当て嵌まる。
だが『量地指南後編』には、《大丸》を何処の誰が保有しているのか? ――までは記述していなかった。村井昌弘は六十年前に没しており、本人に尋ねる術もない。
結局、蔵書を虱潰しに当たったものの、他には役立ちそうな情報を見出せなかった。
「どうしたら良いのじゃ?」
両手で頭を抱え、鬢(びん)をがりがりと掻き毟る。
と、その時、下男の呼ぶ声が聞こえた。
「嘉芽市様、お客人が参られておりまするが……」
嘉芽市の頭中に左京の顔が思い浮かぶ。口元が自然に綻ぶのを感じた。
(左京様は、また、儂を口説かれようと、お見えになったのじゃな)
左京の執拗さを不快に感じるどころか、むしろ好人物と再び会話できる楽しみが先に立った。
「座敷にお通しせよ」
ところが、下男に案内され、座敷に入ってきたのは左京ではなかった。首を折った窮屈そうな姿勢で、大男が姿を顕した。
「こ、これは……!」嘉芽市は、意外な人物の登場に、柄にもなく取り乱す。
武三郎は、いつもの煤竹色の小袖を着流していた。ふわりと胡座を組んで、腰を下ろすと、嘉芽市の顔を見ながら、じっと口を結んだままでいる。太い筋を何本も捩り合わせたように見える頑丈そうな首が、目を惹いた。
武三郎が、こちらから問わなければ口を開かない人物だったのを、嘉芽市は思い出した。
「武三郎様、御用の向きを承りたく存じます」
「拙者は、此度、美作国に参るまでは、一月の間、讃岐国に逗留していたのでござる」
武三郎は、嘉芽市の問いとは無関係に思える話を、何の前置きもなく、いきなり語り始めた。


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