第三章 南蛮流町見之術 2

地図を作製するためには、多数の地点の位置関係を調べねばならない。具体的には、出発点を決め、そこから順々に測点ごとの方位、測点間の距離を調べていく。最後に、縮尺を決め、測定結果を、図面に展開するのである。
忍の磁石は、言うまでもなく方位を測定する道具だ。幅の広い舟形の形状をしている。舟に喩(たと)えれば、甲板に当たる部分に磁石が嵌め込んである。

大きさは、舳(へさき)から艫(とも)(船尾)までが三寸、幅が一寸二分、甲板から船底までの深さが六分で、掌の中に隠して使用する。

忍の磁石の特徴は、「逆目」すなわち、目盛りを左回りに打っている点だ。舳(子=北の目盛りに一致させてある)を目標に向けるだけで、直ちに磁針の先が方位を示す。
本来は、名称通り、忍の者が、敵方の城郭等の構造を探り、秘かに、かつ素早く地図に落とすための道具だった。

 

嘉芽市は、空いたほうの手で、扇子を取り出すと、ぱっと開いた。
「暑うなられたのでございますか?」
下男が、不思議そうな声で訊ねる。上り坂なので汗ばむが、冷たい風が吹いていた。
嘉芽市は立ち止まり、開いた扇子の骨を一つ畳んでから、下男を振り返った。
「はは、そうではない。お前は、歩測(ほそく)なるものを知っておるか?」
「いえ……存じませぬが」
下男は首を傾げ、落ち窪みの底にある目玉を、きょときょと動かした。
「儂は、歩む数で間町寸尺(けんちょうすんじゃく)を測っておるのじゃ」
地図作製には、方位とともに、距離の測定をしなければならない。
歩測は、坂や障害物のある場所では誤差を生ずるが、測量機材が一切不要であり、曲がりくねった道でもそれなりに測れる。しかも、周囲の者に気づかれずに計測できる長所があった。
嘉芽市は、十歩を三間とする歩測で測っていた。
歩幅で測る――と、聞いて、大まかな測量だと判断してしまうのは早計だ。嘉芽市は、日頃から歩幅をほぼ一定に工夫し、かつ、十歩がぴたり三間となるように修練を重ねていた。今では、かなりの精度で、距離を測れる。
歩測のように、己の身体全体を尺として用いる方法を己尺(こせき)と呼ぶ。
嘉芽市は、腕尺(指先から脇)二尺五寸、指尺(親指と人差し指を拡げた間隔)五寸、一尋(ひとひろ)五尺一寸、跨尺(またがるしゃく)四尺六寸(両足を開いた時の爪先の距離)を把握していた。これまた己尺だ。物差しがなくても寸法を測れるのである。
歩幅の修練や己尺の確認は、当時、測地に携わる者であれば、さして珍しい行為ではなかった。
「では、扇子は、何にお使いになっておるのでございますか?」
下男には、歩測と扇子との関係が判らないらしかった。
「如何に歩幅が正しくとも、歩数の勘定を誤る場合があろう。儂は、歩数の過ちを防ぐために、扇を使うておるのじゃ。こうして十歩ごとに扇の骨を一本づつ畳む――すなわち骨一本が三間、扇一隻を畳んだ時には、三十間を進んだ計算となる」
下男が、「ほおうっ。さすがは嘉芽市様じゃ」と、いかにも感心した声を発した。
嘉芽市は、下男の言葉を聞くと、周介から学んだ知識を、自慢げに滔々と語っている自身に、ふっと気づいた。
軽い自己嫌悪を感じ、意識して、眉根を寄せる。
下男は、嘉芽市が見せた表情が意外だったらしい。しょぼしょぼと情けない顔で黙り込んだ。
嘉芽市は再び歩き出した。が、直ぐに立ち止まる。足下の岩に刻印をすると、懐から、折り畳んだ厚手の紙と筆を取り出し、下男に渡した。
「この紙を、懐に納めるのじゃ」
紙の幅は一寸、長さは三尺と細長かった。合点の行かぬ顔で、嘉芽市の命令に従う下男に、使用方法を説明する。
「紙の片側の端を、懐から引き出しておけい。儂が立ち止まる毎に、歩数と方位などを申すから、聞いたとおりに紙に書き込むのじゃ。書き込んだら、紙を折れ。ただし、折り方がある。儂が次に進む向きをよく見て、向きの通りに折って行くのじゃ」
これも、「折紙の用」と呼ばれる忍びの記録術だった。記録を終えた紙を草図(下書きの地図)の上に載せれば、測定した経路が一目瞭然で判る。
嘉芽市は、地図作製を秘密裏に実行しようと考えた。
藩命とは異なる場所の地図を作製しているのである。藩の関係者の目に触れ、清助の耳にでも入れば、「何故、嘉芽市めは、今頃、斯様な場所を調べ回っておるのだ?」などと、不審に思われる可能性があった。
当然のことながら、武三郎に声を掛けるわけにはいかない。また、左京から聞いた、過激な者どもの動きも気になり、できるだけ、目立たずに動く必要があった。
そこで、二人の男が、折紙で遊んだり、扇子を持ち、ふらふらと遊び歩いている風を装ったのである。

 


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