第七章 槌を振れ 7 (8月14日の投稿から連載している小説です)

一夜明けた。
嘉芽市は、普請現場にやって来た。無性に現場を訪れたくなったのだ。自身にも、理由はよく分からない。
現場は、がらんと人気がなく、桶や畚(もっこ)が、だらしなく転がっている。
数年前に打ち捨てられた廃墟のような趣だった。
歩く度に、霜柱が潰れ、嵩張った音を立てた。
ただ一箇所、鍛冶場のみが、がんがんと、人の営みを大きく響かせていた。
さらに、嘉芽市は、坑口から漏れている小さな音に気付いた。鍛冶場の騒々しさに邪魔され、聞き取り難いが、岩を削る音のようだった。
「石工が居るはずはないが、何者じゃろうか?」
吸い寄せられるように、隧道の中に足を踏み入れた。すると、視線の先に、蝋燭に照らされた切刃が、点となって、ぼんやり浮かんでいた。
暗闇の中、足を取られぬよう、奥に進んで行く。
鑿が岩を削る音が、だんだんと大きく、はっきりして来た。
連れて、小袖を片脱ぎにして、鑿を振るう大きな男の背が見えて来る。
嘉芽市は驚き、大声で名を叫んだ。
「武三郎様!」
人の頭ほど、丸々と盛り上がった右肩が下ろされ、武三郎が振り返った。
「おお、嘉芽市殿」
親しみの籠もった声に、非礼を尽くした負い目が救われた。ために、以前と変わらぬ物言いで、すんなり口が利けた。
「何をなされておいででございますか?」
「石工が戻るまでの間、拙者の微力でも役に立てば――と思うたまででござる」
絶望的な状況にも拘わらず、武三郎は、普請竣工を諦めていない。現時点での、でき得る仕事を、特別な気負いもなく行っている。
何よりも、武三郎は、必ずや、石工が現場に帰って来る――と、信じていた。
嘉芽市は、腹から胸に向け、熱い塊が昇って来るのを感じた。
「普請の完遂を諦めるな」との、周介の声が脳裏に木霊する。
困難を極めるが、立ち向かおうと思えば、何やら身体の芯から力が漲り、気持ちまでも明るく前向きになって来る。
「出過ぎた行いとは思うたが、拙者が御代官様にお願いして、陣屋の者を動員し、太刀を槌に持ち替える算段を図り申した」
陣屋の役人が石工の仕事を始める、というのである。いかに清助が追い詰められても、武三郎の口添えがなければ、思い付きも実現もしなかったろう。
もっとも、役人が鑿を握ったとて、さほどの役には立たない。あくまで、石工が戻るまでの繋ぎに過ぎない。
しかし、全くの闇の中に、一本の微かな光明が射し込んだのは事実だ。
「ところで、いくら陣屋から石工を動員しても、賄いきれぬものがござる」
武三郎の声は、いつもながら冷静だ。湧き起こる興奮に心を委ねていた嘉芽市は、頭を冷やし、訊ねた。
「それは、鑿でございますか?」
「左様。やはり小鍛冶一人では、長い目で見ると、足らぬ」
「なるほど……。ん、ならば、身共にお任せ下さいませ」
嘉芽市の中で、火花が弾けるように閃くものがあった。


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