第七章 槌を振れ 1 (8月14日の投稿から連載している小説です)

周介は、駆け付けた陣屋の者どもの手で、廃寺から己の屋敷の庵へと、急ぎ、運び込まれた。
息子の吾市が治療に当たった。
寝間に横たえられた周介の横には、嘉芽市が一人だけ残されている。周介の希望で、他の者は退室していた。
嘉芽市は、苦しげな息遣いを続ける師の顔を、じっと傍らから見詰め続けた。
「申し訳ございませぬ」
心の底から噴き上がる感情を、声で絞り出した。軽弾みな行動をせねば、周介をこのような目に遭わさずに済んだはず。悔やんでも、悔やみきれない。
さらに、命を投げ打ってまで嘉芽市を守ろうとした師の行為に、脳髄を攪拌されるような戸惑いを覚えていた。師の心の内を疑い、強い反発すら感じていたからである。
宵五ツとなっていた。冷気が、部屋の周りから、しゅんしゅんと下りて来つつあった。 浅く早い周介の呼吸の音だけが、静かな部屋の中で繰り返されている。
「亀よ、もっと近くに寄らぬか。儂の話を聞くのじゃ」
周介が、行灯の光に晒した蒼白い顔を動かした。
「お身体に障りまする。今は養生に専念され、御無理はなされませぬよう」
嘉芽市は、深手を負った師の身体を気遣った。
だが、周介は、苦しげに息を継ぎながら、「黙って聞けい!」と、掠れ声で窘める。
刃は肩胛骨で止まっていたが、かなりの量の出血をしていた。高齢でもあり、今後も予断を許さない。
周介も医者である。己の身体の具合を認識できるからこそ、「今しか伝えられぬ」と考え、無理をしているのかもしれなかった。
「まずは、サキのことじゃ」
まさか、サキの話題から始まるとは思っていなかった。
「お前も、サキが普請の現場におるのを知っていよう」
「存じておりまする」
「落ち着いて、よう聞けい。サキは、去年の豪雨のどさくさの中で、屋敷に戻ろうとしているところを、弥十郎めに襲われたのじゃ」
嘉芽市は、横っ面をきつく張られたような衝撃を覚えた。
「サキは、精一杯に抗ったが、弥十郎に手籠めにされてしもうた。亀と夫婦になる日を夢見ていたサキにとって、どれほど惨たらしい現実じゃったか」
周介は、刀傷の激痛に勝る苦悶を、表情に覗かせている。
弥十郎への猛烈な怒りが込み上げ、嘉芽市は、「かはっ」と、息を吐いた。
大水の直後に会った弥十郎が、勝ち誇った顔を見せた理由を、今になって苦々しく思い知る。
痛烈な後悔の念にも晒された。堰の状況を見たいがために、長い道行で疲れ切っていたサキを、一人で屋敷に向かわせた。
「弥十郎が去るや、サキは、屋敷から匕首を持ち出した。恨みを晴らそうと、にっくき弥十郎を追ったのじゃ。じゃが、弥十郎は見付からなかった。そのうえ、帰ってみると、屋敷は、家族もろとも流されておったのじゃ」


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