神田お玉が池

1月20日に神田お玉が池の跡を訪ねました。

その理由は、神田弁慶橋岩本町に住んでいた鍬形恵斎が、文化十二年(一八一五)の頃に、神田お玉が池に移り住んだからです。ここで恵斎は没したようです。

お玉が池は、江戸のはじめまでは、不忍池よりも広かったらしいのですが、だんだんと埋め立てられ、今は池は消えています。当時は、桜の名所として知られ、周囲には文人や学者が数多く住んでいました。

恵斎は、池やその畔の景観、春には桜を楽しみながら、画人や文人と交友していたのでしょう。

お玉が池は、江戸で最初につくられた種痘所のあった地としても有名です。この種痘所の話は、津山の蘭学の歴史へと結びついていきます。津山洋学資料館という立派な展示施設があるのですが、いつかの機会に紹介したいと思います。

今は、大通りから入ったビルの谷間に、小さな稲荷神社があるだけです。

少し離れた場所に、泉麻人さんの書かれた「神田松枝町」の説明板がありました。お玉が池の由来が書いてあります。

 

 


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