清水次郎長を超える山陽の大親分岡田屋熊次郎を調べる(3)

岡田屋熊次郎の生涯などを、岡長平著「色街ものがたり」の記述をもとに紹介していきましょう。なお、説明を分かりやすくするため、もとの記述で不足する部分を想像で補っています。事実と食い違っている部分もあるかもしれません。そこはご容赦を。

熊次郎は、安永七年(一七七八)に、宮内の片山町にある光畑家に生まれました。
光畑家は、柏屋という屋号で、片山町ではかなり名の知られた料理屋を営んでいましたが、熊次郎が青年期を迎える頃には、左前となっていました。P1020096

 

写真の家の場所が、柏屋のあったところ。近所を歩いていた高齢の方に尋ねると「おう。柏屋ならそこじゃ」とすぐに教えて下さいました。

 

 

そのため、熊次郎は十七、八ぐらいから、足守(今の岡山市北区足守)に、かご類の行商に出掛けて、一家を支えていたそうです。

それでも熊次郎は、持ち前の優れた才知と胆力、さらには侠気で、だんだんと男を売り出すようになり、当時、宮内の市の市頭(宮内で年二回開催されていた大市の責任者兼プロデューサー)をしていた江戸市一家の親分の弟分となりました。
文政二年(一八一九)に起こった騒動が原因で江戸市一家が解散を命じられました。江戸市には、熊次郎以外にも、たくさんの兄弟分や子分がいましたが、熊次郎は皆に押される形で江戸市の跡目を継ぎ、市頭となったのでした。熊次郎四十二歳のときです。

P1020085

 

先代の光畑家の主(熊次郎から数えて三代目の御子孫)が収集、作成された資料の数々。大学の先生方とも一緒に、熊次郎や宮内の繁栄について調べておられたそうです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です