津山藩狩野派絵師の屏風

津山市南部の旧家で、狩野如林乗信作の屏風絵を見せて頂きました。如林は、津山藩御抱の絵師です。


津山藩の狩野派絵師は、津山松平藩初代藩主宣富(のぶとみ)に召し抱えられた狩野洞学幸信(どうがくゆきのぶ)が始まりとなります。

如林乗信は、洞学の養子で、如林派の祖です。

見せて頂いた六曲屏風は二隻。都合十二枚の絵に各月の風景が描かれています。

洞学には三人の養子がいました。兵四郎、富信、察信(あきのぶ)で、如林となったのは、兵四郎です。

 

ただし、兵四郎が狩野家を継いで如林を名乗るまでには、大変な紆余曲折があったようです。
何しろ、兵四郎は、いったん養子にはなったのですが、七年後に離縁されるのです。理由は、兵四郎の妻となった洞学の娘の身持ちの悪さにあったとか。そこで、兵四郎は、津山藩の料理方の瀧波家の養子になりました。

ところが、兵四郎の後に養子となり如林乗信を名乗っていた富信が、六年後にまたも離縁され、さらには洞学までも永の御暇(おんいとま=クビ)を、藩から申し渡されます。これまた娘の身持ちの悪さが理由らしく、この娘は大変なトラブルメーカーだったようです。

洞学が暇を命じられた年の冬に、兵四郎は絵師として藩に召し出されます。ここで、ようやく如林乗信を名乗ったのです。実は、召し出されてから狩野を名乗るまでに、もう一悶着ありましたが、それは割愛。なお、三番目の養子の察信は狩野如運と称し、毛利家に仕えました。

屏風は、とてもきれいに保存されていました。貴重な生の歴史に触れることができて、幸せな日でした。 感謝!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です