小説「隧道を穿(うが)て」 第一章 怒濤に失ったもの 1

文政四年(一八二一)の春。
重々しい雨音の響きが切れ目なく続いている。三日前から激しく降り始めた雨は、未だに衰えを見せていない。
叩き付けるように落ちる雨粒は、今にも庵の屋根を突き通しそうだ。
実際、茅葺屋根の内側には三箇所で染みが広がり、一部の染みからは、ぽたんぽたんと滴が垂れ始めている。
十六歳になる中村嘉芽市(かめいち)は、雨漏りで色が変わった床から、算法の師・中村周介へと視線を移した。大きくて真っ黒な瞳をぐりぐりと見開き、雨音に負けない声を張り上げる。
「先生! 何故、身共(みども)の考えを分かっていただけないのですか?」
瞳の上に、尻上がりの太い眉が、ぐいっとばかりに構えている。顔の真ん中に居座る団子鼻の下には、鮮やかな紅の唇で「へ」の字をきりりと結んだ口がある。
好意的に表現すれば、意志が強そうな顔――とも言えるが、実のところ、「きかん坊」と表現するほうが適当な面付きだ。
「亀よ。まだ早い。ことを起こすには、然るべき時期と言うものがあるのじゃ」
周介は、今日も嘉芽市の願いをあっさり拒絶した。が、嘉芽市は簡単には引き下がらない。
「この嘉芽市、先生から算術、規距術(きくじゅつ)(測量理論)、町見術(ちょうけんじゅつ)(測量実務)、暦術のあらかたを学び、昨年には奥義も伝授賜りました。が、身共は、もっと広く深く算法を学びたいのでございます。江戸には、天下に名を成した算法家が数多(あまた)おります。流派も、関流だけでなく、最上流、宅間流、中西流など、十指に余る諸流が互いに技と智を競っておりまする。算法を極めるため、是非とも江戸に出たいのでございます」
師に対しての物言いとしては、些か小生意気に聞こえる。それもそのはず――嘉芽市は六歳にして算術の難題を解いた異才で、「天童」と呼ばれた男だった。
十三歳の時から、大叔父に当たる周介の許で算法を学び、僅か三年で「師に互する実力を身に付けた」との評価を周囲から得ていた。


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