小説「隧道を穿(うが)て」 第一章 怒濤に失ったもの 5

嘉芽市とサキが進み始めてから、半刻(とき)余りが経過していた。堀坂までは、あと半里を残している。
激しい土砂降りは収まったものの、細かな雨がびっしりとした密度で落ちており、雨の量には、さほど変化はないように思えた。
嘉芽市とサキは、並んで歩いていた。
サキは、嘉芽市よりも歩幅が狭い。ために、少しずつ遅れていく。時折はっと思い出したように、ぱたぱたと早足で遅れを取り戻した。
「ねえねえ、嘉芽市。川の幅や深さは、どんな遣り方で積もったのじゃ?」
サキが、息を弾ませながら、嘉芽市に問う。ちょうど周介から規距術の教授を受け始めたところなので、関心があるのだろう。
じっとりと手の甲に貼り付く雨滴を拭いながら、嘉芽市は答えた。
「そうじゃな、まずは川幅じゃが、これには鎖距(くさりかね)と呼ばれておる道具を使ったのじゃ」
「聞き慣れぬ名の道具じゃなあ。どんな形をしておるん?」
サキの無邪気な問い方に、嘉芽市は、微笑みを禁じ得なかった。

「鎖距はな、二尺の鎖の片方の端に、三寸の物差しを繋いだもんじゃ。まず、川の岸に立ち、鎖距の物差しを目の下に当てる。それから、二尺の鎖をいっぱいに伸ばし、鎖のもう一方の端にある輪に、分廻(ぶんまわ)し(=コンパス)の片足を入れるんじゃ」
嘉芽市は、分かり易いように、身振り手振りを加えて説明する。
「川の向こう岸に、種竿(たねざお)という三間巾の印を付けた竿を立てておくんじゃ。拡げた分廻しの足の間で種竿を覗き込み、三間の印を分廻しの先で挟む。次に、物差しで分廻しの開きを読み取るんじゃ」
「ふうん。それで、川幅が分かるんか?」
我が意を得たり――と、ばかりに嘉芽市は応える。
「サキ、先生から先日拝聴した同距(どうのり)(相似)の話を覚えておるか? 鎖の長さと分廻しの開きでできる三斜(三角形)と、川幅と種竿の三間が作る三斜は同矩なのじゃ。されば、鎖の長さが二尺、種竿は三間、分廻しの開きも分かっておるから、あとは同規(どうき)(比例式)で川幅が積もれる」
三角形の相似関係を用いた測量手法は、現代でも、スタジア測量と呼ばれる測量法で用いられている。
サキは、しばらく考え込んでいた。が、急に、「きゃっ」と嬉しそうな声を上げた。
「あっ、そうか! 嘉芽市、わかった! 思い出したぞ」
今にも飛び上がりそうなサキの反応に、嘉芽市の胸も、ほかほかと暖かくなる。
だが、嘉芽市は解説しながら、サキの呼吸に喘ぎが混じってきた気配に気付いていた。
草履にずっぷりと泥が絡めば、嘉芽市でも、歩みはなかなか捗らない。身体の小さなサキではなおさらで、水を吸った蓑の重さも加わり、嘉芽市以上に苦しいはずだった。
「サキ?」嘉芽市は、苦しげな息遣いをしているサキを気遣い、小さく声を掛ける。
「大丈夫じゃ」
サキは、嘉芽市に心配を掛けまいとしているのか、明るい口調で返事をした。


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