小説「隧道を穿て」あとがき2

「隧道を通す」という技術的な側面について私見を述べます。

トンネルを掘るときには、両側から掘り進みます。となれば、両側から来た穴が、ちゃんと出会わねばなりません。
これは「なんとかなるさ。イケイケ!」では、片付けられない話で、測量が不可欠となります。しかも、トンネルの長さや径によって、測量に求められる精度(つまり、許される誤差)が決まってくるのです。

今回の隧道は、たかが100mの長さ。だから50mづつ両側から進めばよかった。
それでも、嘉芽市が若干の条件を付加して計算したところ、目標精度は一度の半分という厳しいものでした。
嘉芽市は、何らかの方法で必要となる精度を得たはずですが、真相は謎です。
小説では、嘉芽市が測量機器を工夫して改造し(バーニヤ尺の導入)、目標精度を得た筋にしていますが、これは当時の測量技術から可能な範囲と判断しました。

ここで、どうしても考えねばならないのが、箱根用水の話です。小説の舞台よりも200年も前に1280mの隧道を両側から掘削して完成させたというのですから! もう、お分かりと思いますが、嘉芽市の測量なんぞ、お話にならない精度が要求されます。当時の測量技術を、いくら高めに想像しても、とても可能とは思えません。
何年か前に、著名な女性の作家が、工事を可能にした測量技術の実践には、キリスト教を伝搬していた西洋人の存在が考えられる、とブログに書いていました。さらに一歩踏み込んで、妖術あるいは人間の見識を超える何かが、そこで工事責任者に伝えられたのでは、との見解も覗かせていたように記憶しています。

達観だと思います。箱根用水掘削の物語は有名ですが、大きな謎がその影にあるのです。


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